ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「育児で自分が無くなる」なんて

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

はあちゅうさんの、インスタストーリーズのこの言葉が、ずっとずっと引っ掛かっていました。


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私も同じで無くなった「自分」を取り戻そうと、最近育児投稿よりも「自分」を楽しむ、ってテーマで、SNS発信してます。着たことない服着たり、行きたい場所に行ってみるのも、自分取り戻し作業の一環で#週末野心叶えましたってハッシュタグも作ってみた。

 

DMの送り主は、5歳と3歳を育てている方で、「子どもとの目標も良いけど、自分がどうしたいかっていうのが思い浮かばないことに気づきました」「自分の人生、考え直すきっかけになりました」といった感じの内容。

うん、お互い、素敵なことを言っているね!と思うんだけれども、なぜか引っ掛かる・・・

 

それはきっと、はあちゅうさんが「育児で自分が無くなった」「自分を取り戻す」という言葉を使っているからなのだと気づきました。

 

 

「自分=息子」の意味

はあちゅうさんは以前に、「自分=息子だった」といった発言もされています。

難解な文章ですが、読み解くとおそらく、「自分の意識が全部息子さんに向いていた」という意味なのでしょう。

傍から見るとそこまで子育てに集中しているようには見えませんけど。

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・・・ってもしかして、この辺の息子くんのイタズラ困ります~な投稿も、「自分は化粧品触っても大丈夫だから、息子(=自分)も触っても大丈夫」っていう認識だったのかしら?

 

 

育児で自分が無くなる?

さて、話は戻して、「育児で自分が無くなる」の話。

 

たしかに、「自分が好きだったものが、育児のことを考えると、出来なくなる」「自分の趣味などの時間が取れなくなる」っていうのはあるんですよ。

私の場合、読書とか映画鑑賞とか。

あと、スカートとかワンピースも好きだけれども、公園で遊ぶことを考えると自然とパンツスタイルになるし、地面が砂の公園で転んだ子どもを抱き上げると、私の黒パンツが見事に真っ白になるから、汚れが目立たないデニムにしようか・・・とか考えちゃう。

スニーカーも白と黒は汚れが目立つから、グレーにしようかな・・・なんて、ホコリが目立たない色の車を選びがちな洗車嫌いの人みたいな発想になる。

 

汚れが目立たない車の色とは?汚れを付着させない対策法なども解説 | イエローハット

 

・・・なるんだけれども、果たしてそれが「私が無くなる」なのか?というと、それは「NO」なんだよな。

いや別に、「スカート履いていないと私じゃない」というわけでもないし、グレーのスニーカーを買ったから自分が無くなるっていう感覚もないんですよね。

 

スカートも好きだけど、こういう状況だしパンツスタイルを選ぶのもアリだし、そもそもそんな、服装をちょこっと変えただけで自分が自分じゃなくなるみたいな感覚はないんですわ。

「茶髪を黒髪にしたら、私らしさがなくなる」「スカートの丈は絶対に短くないと嫌」とか言っている女子中高生かよ?って思う。

・・・あ、今のイケてる中高生は茶髪&短いスカートじゃないですかね?

 

そういえば、と思って探したら、3年前にも同じようなことを書いているんですけれども、見た目が自分の個性と直結しているっていう考え方が、そもそも私にとっては「そこまでか?」と思う。

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他人の為に時間を使うのが嫌なのだろうか

はあちゅうさんの言葉と接していると、「この人、他人のために自分の時間を使うのが、ものすごく嫌なんだろうな」と思うことがあります。

 

息子君の習い事の送迎で気持ちがどんよりした話とか、

私の場合、送り迎えの負担などは
私が100パー負担と考えたほうがいいので、
そうなると、気持ちがどんよりしてきます。

 

結婚を考えた相手との格差から、「添え物になる私」を拒否した話とか。

いわゆる「結婚の条件」的なものが揃っていると知れば知るほど
完璧に出来上がっている彼の人生の添え物でしかない私、という気分になった。
その人との結婚を選ぶなら、私は私の生きたいように生きられず、
人目を気にする人生になることもわかりきっていた。

 

あと、「手間がかかるなら、それを何か別のことに活用できるようにしよう」みたいな気持ちもありそう。

著書の中で、「陣痛で苦しんでいる声を、反抗期になった時に聞かせようとして録音した」とか書いていたのがその良い例で、常に「何か見返りを」と考えているような気がする。

 

・・・というのは、別の小説の中でも感じたな。

 

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女友達(本当に友達なのかが不明になるくらいマウンティング合戦している)が、それぞれの会社の福利厚生などを「シェア」とか言いながらクレクレしている描写とか、はあちゅうさんの「何事も有効活用してやるぜ」というドケチ心が見事に表れているな、と思う。

 

本日(3/10)のインスタライブでも話していたけれども、彼女のお母様って、長らく専業主婦で、今も息子君を預かったり、ホームパーティーを開催したりと献身的に娘(&孫)のお世話をして、愛情を注いでいらっしゃるんですよね。

でも、その娘は、息子のために時間を割くことに「気持ちがどんより」してくる。

そのアンバランスさが、「なぜだろう?」と思ってしまう。

 

 

朝食時間のメイクライブの是非

さて、そんな彼女ですが、冒頭のインスタストーリーズの投稿の翌日から、「メイクライブ」を始めました。

 

「育児じゃない自分を発信」とか言っていた彼女が始めたのは、息子君に結構な音量でYouTubeを見せながら朝食を食べさせている隣で、メイクをしている姿の生配信なのです。

息子君の声が時々入って、それが視聴者には好評なのですが・・・

 

・・・私には、「息子君に朝食を食べさせている時間も無駄にしたくなくて、『自分』の時間にしたいんだろうな」と思えてしまう。

あとは、息子君をダシにした育児絡みのネタであっても、「自分がちやほやされている」って感じられれば何でもいいんだろうな、とも。

 

 

外出で自分は取り戻せるのか

さて、他には「自分取り戻し作業」で何をしているのでしょうか?

 

そういえば、Voicyで「アプリで人と出会い続けて気づいたこと」という回がありました。f:id:dokudamiyoshiko:20220310232216j:image

 

こちらのブログの向かいに座っている方の服装は、男性っぽいですね。

 

2月いっぱいでブロックされてしまった有料noteには、この「友人というか知人」とのランチの話がもう少し詳しく書かれていました。

 

また、最近は「近くでうろついていた友達と、タイミングがあって、サクっと小一時間お茶して帰宅。」みたいな、「そんな偶然ある?位置情報でも公開しあってるの?」みたいなこともあるようで・・・

 

・・・彼女の取り戻したい「自分」とは、何なのだろうか?

上記をまとめると、「独身時代みたいに」「新たな出会いをして」「普段接していない人と話をする」みたいなことが、自分取り戻し作業なのではないかと思えてしまう。

 

結局、インスタライブしかり、出会えるアプリしかり、自分のために時間を使って、他人からちやほやされれば、「自分」が取り戻せるってことなんですかね?

 

 

誰かの為に自分の時間を使うことで「自分が無くなる」ならば

私は思うのです。

誰かの為に自分の時間を使うことで、「自分が無くなる」と思うなんて、なんて寂しいことだろうか、と。

特に、妊活して「ずっと欲しかった」と言っていた子供のために使う時間に対してそう思うなんて。

 

誰かのために時間を使うことを、「自分を無くす」と思うならば、そんな「自分」なんて何をしても見つからないし、何をしても満たされないと思ってしまう。

 

なんだか上手く言葉に出来たかどうかわからないけれども、こういう風に「自分自分自分」をやっているから、いつまで経っても満たされず、ぼんやりしているのではないか・・・と思ってしまうのだ。

 

 

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