こんにちは、ドクダミ淑子です。
最近育児でジタバタしていたのですが、夫のシルバーウィークもあって、少し心の余裕を取り戻してきました。
心の余裕を取り戻してくると、またぼちぼちと、はあちゅうさんウォッチングも出来るようになってきました。
やっぱり、「アンチは自分の生活からの逃避行でアンチ活動をしている」とか書かれるけど、自分の生活でいっぱいいっぱいだと、アンチ活動なんてやっている暇はないんですよ。
心の余裕がないと、アンチだのウォッチャーだのは出来ないよね☆
さてさて、そんな中、久しぶりにはあちゅうさんのインスタライブを見ました。
日曜の朝、子どもを横で遊ばせながらの配信
いや、見たといっても途切れ途切れなんですけどね。
日曜の朝から、メイクしながらの配信らしく、なんだか色々なものを雑に塗っていました。
「チークは2個しか持っていなくてぇ~」って、メイク好きじゃないのにメイクライブするんかーい!とツッコミを入れてしまったぞ。
メイク道具も雑に収納していて、はあちゅうさんらしさが全開でした。
気になったのは、息子くんが横で騒いでいて、何度かカメラに写ったり、はあちゅうさんが席を立ったりしていたところです。
おいおい、2歳の子どもが起きている時間にインスタライブって・・・勇者だな。
それを見ていて、こんな疑問がわいてきました。
彼女はなぜ、そんな無理までして「仕事(彼女にとってはきっとインスタライブも仕事なのだと思う)」をしようとするのだろうか?
「私」をアピールしたい説
ここから先は、私の妄想全開でお送りするのですが、きっと彼女は「自分」をテーマにした発信をして、ファンに見てほしいんだろうな・・・と思うのです。
通常のインスタライブをすると、こんな質問ばかり上がってきます。
「息子君は今どこにいますか?」
「息子君の好きな食べ物は?」
「旦那さんのどこが好きですか?」
「旦那さんの浮気はどこまで許せますか?」
私は想像するのです。
「息子」と「旦那」の話ばかり聞かれるのに嫌気がさしてしまったんじゃないかと。
彼女は結婚について、こんなエッセイを書いています。
彼と付き合う前に私は、ひとまわり以上年上の人と付き合っていた。
ステータスも収入も周りの評判も申し分ない人だったけれど、
いわゆる「結婚の条件」的なものが揃っていると知れば知るほど
完璧に出来上がっている彼の人生の添え物でしかない私、という気分になった。
その人との結婚を選ぶなら、私は私の生きたいように生きられず、
人目を気にする人生になることもわかりきっていた。
彼となら、私が私の人生を主人公として生きながら、
一緒に面白い物語を作っていける気がした。
「私が私の人生を主人公として生きる」、つまり「相手の都合に合わせることなく、自分がやりたいことを自由にやる」というのが、彼女にとって、優先度が高いことのようですね。
そして、時々「息子の世話をしている私は本当の私ではない」とも読めるような文章を書いています。
それなのに・・・インスタライブを見るようなファン(私も含め)からは、「息子くんは~?」「旦那さんは~?」とばかり聞かれる。
もしも「私を見て!」というために配信活動をしているなら、結構しんどいんじゃないかな?とか考えてしまいます。
「しみけんの嫁」ではなく、「ちびけんのママ」でもない、「はあちゅう」として見てもらいたいのに・・・ってなっているのではないか?と。
「役割」からは逃げられない
これは、はあちゅうさんとは関係ないですが、同じように「○○ちゃんのママと呼ばれることで自分のアイデンティティが崩壊する(意訳)」的な話も時々見かけます。
自分にも名前があるのに、子どもの名前で呼ばれることで名前が無くなったような気がして・・・とか思っちゃうみたいな話。
私はまだ母親1年目だし、ママ友と言えるような人はゼロだからこの辺はまだ実感が薄いのかもしれないけれども、「そんなこと気にしていても仕方がないよね」と思ってしまう。
だって、人間社会で生きている限り、「役割」「立場」から逃れることって出来ないんだもの。
私だって、「○○さんの娘」だし、「○○さんの孫」だし、「○○家の人間」だし、「○○の社員」だし、「○○マンションの住民」だし、「○○さんの妻」だし、「○○ちゃんの母」なんですよ。
そうやって、複数の「役割」「所属」を持ちながら、人間って社会で生きているんじゃないの?
「役割」を複数持ちながら、自分の人生を歩むことはできる
誰かの添え物になる人生。
彼女の言うそれが、どういう意味で「添え物」なのかはわかりませんが、私はどんな人でも、自分の人生の主人公だと思います。
家族のために時間と労力を使うのも、別に家族の「添え物」ではない。
誰かの「母」だろうと、「妻」だろうと、それは誰かの「添え物」ではない。
そう考えると、「息子君の話を聞かせてください」「旦那さんの話が聞きたいです」という声にも、そんなにピリピリせずにいられるんじゃないかな・・・とお節介な私は思うのです。
こちらもどうぞ