こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅうさんが、最近「ぼんやりした日々」だと嘆いています。
私はそれを読み、またあれこれと考えるのです。
ぼんやりとした日々?
はあちゅうさんのファンの私から言わせていただければ、「最近のあれこれでよく『ぼんやり』なんて言っていられるなぁ。あれですか?『バリヤー!バリー!バリー!ほ~ら、全然効いてないですぅ~!!』ってやつか?」という感じなのですが、まぁその辺はとりあえず置いておきましょう。
はあちゅうさんのブログによると、こんな感じのようです。
しかし、ここ最近日常に変化がなさすぎて。
いや、平和だし幸せだし夫婦仲も良いんだけど…
なんだろう…欲しい物や、やりたいことが
あまり思い浮かばなくて、ぼんやりしています。
どこかに出かけたいけど
出かけられないフラストレーションなのか、なんなのか。
ほうほう、つまり「ぼんやり=無」ってことですね。
なぜそうなるのか?を考えてみましょう。
暇だから
まずはですね・・・これって単に、「暇」なのです。
暇人じゃなければ「やりたいことが思いつかない・・・ぼんやり・・・」なんて言っている時間はないわけです。
今日を生き抜くのに必死な人、バタバタしていたら気づいたら1日が終わっていた人、やることが多すぎてパンクしている人は「ぼんやり」なんてしていられません。
といっても、別に「暇なこと」は悪い事ではありません。
暇があり、余白があり、遊びがあるからこそ、新しいことが生まれるかもしれないし、何かやろうと思ったらそれに費やす時間もあります。
「やりたいこと」があれば、それに全力投球できる・・・その手前の段階と言えるかもしれません。
無駄なことに時間を使っているから
ただし、彼女の場合、現代人にとっては大変貴重である「暇」を持て余しているようです。
ネットサーフィン、YouTube、読書(マンガ多め)、SNS・・・色々なことをしているけれども、それでも「ぼんやり」している。
ということは、きっとそれってどれも「やりたいこと」ではないのです。
私だったら、今、ふと空き時間が出来たら「よっしゃ!ブログ書くぞorマンガ読むぞor本読むぞorスプラするぞorおやつ食べるぞ」とテンションが上がるし、「今日は離乳食のストック作ちゃおっかな~」でも、そこそこテンションが上がる。
家事・育児含めて、やりたいことが、たくさんある。
何をしても「ぼんやり」しているのならば、それは残念ながら全部、「やりたくないのに惰性でやっていること」なのです。
マンガやYouTubeなんて趣味なのに、やりたくもない趣味になっているなんて、なんだか変な感じですね。
目を背けたいことがありすぎて感度が鈍っているから
前述した、誹謗中傷裁判からの文春砲などなどは、ご本人は徹底してスルーして、キラキラ生活を綴っています。
ただ、ここで私は思うのです。
「この状況から目を背けたいがために目をつぶり過ぎて、自分の好きなことまで見えなくなっているのではないか?」と。
「スルーの代償」のようなものを受けているのではないでしょうか。
「穏やかな日々」に満足できないから
もしかしたら、彼女は、平和で穏やかな日々に満足できない人間なのかもしれません。
ここ最近日常に変化がなさすぎて。
いや、平和だし幸せだし夫婦仲も良いんだけど…
少し前に、インスタライブで「家出して占い師と弁護士のところへ行った」という話をされていました。
私からすれば、喧嘩の渦中で占い師のところに行くって大丈夫か?だし、「夫婦喧嘩して弁護士のところへ行く」はえらいこっちゃなのですが、彼女はそういう生活の方がデフォルトなのかもしれません。
ジェットコースターみたいな生活をしているから、メリーゴーラウンドの穏やかさに落ち着かなくなる。
「なんでこれは高速回転しないの?」ってなる。
コーヒーカップに乗っても、無理やりハンドルを回しまくりたくなる。
もしも、そういうタイプだったら、平和な生活=「ぼんやり」なのかもしれません。
以上、私の考えられる範囲で彼女の「ぼんやり」を予想してみました。
では、もしもこの中に「ぼんやり」の原因があって、ぼんやりから抜け出したいと思っているならば、どうすればよいでしょうか?
答えは簡単、逆のことをすればいいのです。
とにかく忙しい毎日を送ってみる、時間の断捨離をしてみる、目を背けていることと向き合う、あえて波乱万丈な人生へ舵を切る(または穏やかな生活に満足する心になる)・・・などなど。
原因がわかれば、解決方法は簡単なのです。
それを「なんだかよくわからないけれども、ぼんやり~」と寝ぼけたことを言っているアラフォーは・・・気づいたら四十路になるぞ!と同い年の私は思うのです。
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