こんにちは、ドクダミ淑子です。
「リクルートスーツが個性を殺す」なんて言葉がネット上で流れてきます。
リクルートスーツさんまで殺人鬼扱いされるなんて、本当に物騒な世の中ですね。
さて、そんな冗談はさておき。
確かにリクルートスーツを着た学生の行進は、グッとくるものがあります。
ある人事の方が、合同説明会の様子を見て、「大きなお葬式みたい」とつぶやいたのも印象的でした。
でも、だからといって「リクルートスーツが諸悪の根源!」というのは、何かがおかしいと思うのです。
そう思っていたら、先日読んだ本にその答えが書いてありました。
『宝くじで1億円当たった人の末路』の中の、「ワイシャツの中に何を着るか迷う人の末路」という章で、松屋銀座のバイヤーが言っていることがこの話にピッタリだったのです。
そもそも、「スーツを着るのは日本だけ」というのが間違っている
リクルートスーツ反対派の言説を見ていると、こんな感じです。
- リクルートスーツは個性を殺す
- リクルートスーツを着る=社畜になる誓いを立てている
- スーツを着るのは日本の就職活動の悪しき習慣
リクルートスーツさんは、なんだかいろいろと恨みを買っていますね。
確かに、ラインがとてもダサくて、初々しさを演出しているところが、あざといなと私のようなババアは思うのですが、だからといってリクスーさんが「悪の権化」になるのは、納得がいかないのです。
そもそも、「日本の悪しき習慣」とか言っている人は、他の国の服装へのマナーがもっと厳しいことを知っていますか?
私は上記の本を読んで初めて知りました。
- 国際的にはビジネスで半袖のシャツを着用するのは、日本と米国くらい
- 欧州のビジネスシーンでは、半袖シャツなどあり得ない
- 初対面の人間が「まともな服装」をしているかどうかは、ビジネス・交渉をするための最低条件
- ルール違反の格好をしていると、それだけで「交渉の価値のない人間」になる
こんな中、「俺は個性で勝負だ、日本の古い常識をぶち破る!」なんて言ってドヤっている人は、世界から置いていかれる・・・なんだかマヌケですね。
多様化する世界の中で、価値観を合わせられるかどうかは、まずは服装に現れている・・・逆説的で興味深いですね。
スーツで消える個性なんて、個性じゃない
そもそも、個性は見た目で表すというのが、幼稚な話なのです。
「スーツが個性を殺す」の反論としてちらほら出ていた意見ですが、「スーツで消える個性なんて、個性じゃない」んです。
それは個性がないから、見た目でごまかそうとしているだけ。
個性があるなら、それは見た目ではなく、言葉に出てきます。
だから、リクルートスーツでみんな同じような恰好をして、面接の言動で勝負っていうのは別に間違っているわけじゃないと私は思います。
高校生の時に、先生が言っていたよ
この話を書いていて、高校時代に担任の先生が言っていたことを思い出しました。
「茶髪で推薦入試の面接に臨んで、これが私の個性ですって言って、他の人よりもいい印象を与えて合格するのは難しい。本当に賢い人はちゃんと髪を黒く染めて、きちんとした服装をして、受験を乗り切るために見た目を変えられる。それはプライドを捨てるとかじゃない、賢さなんだ。茶髪じゃないと保てないプライドなんて、ない方がいい。見た目を変えても自分は自分って思える人が、ちゃんとしている人なんだよ。だから推薦組は髪の色を戻せ」
スーツを着るかどうかで個性が云々と言う人は、高校生あたりからやり直したほうがいいんじゃないでしょうか?
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