ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

10代で許される「若さ」も、年を取ったら「痛さ」になるのよ


こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

以前、「若者が、自分目線で書いた言葉で自分の後輩を勇気付けようとしているものに、大人があれこれ口を出すのはいかがなものか?」というブログを書きました。

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・・・んだけど、私はこれが「若者だから許される」のだと思っている、という話を今回は書いていこうと思います。

 

 

過去の出来事を当てこするアラフォー

このブログでもしばしば取り上げている、はあちゅうさん。

 

前回の本の感想では触れませんでしたが、私は本を読みながら、はあちゅうさんのことを思い浮かべていました。

 

はあちゅうさんは、松本さんのように「私は若い時にあんなことやこんなことで周りから足を引っ張られたけど、どうにかしてのし上がってきた」と言ったことを、20年近く前のことなのに、まるで昨日のことかのように語ります。

 

  • 大学生の時に、初めてブログを立ち上げて、当時では珍しい顔出しだったから炎上した。
  • Google画像検索で「ブス」と打ったら1番に自分の顔が出てきて寝込んだ。
  • 寝込んだけど、なんだか忘れましたけど吹っ切れて起き上がった。
  • その結果、今の立ち位置まで来れた。

・・・つい最近も、街録というYouTubeチャンネルでも語っていました。

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その語りと、18歳の松本さんの語っていることが、私の中でリンクしました。

 

ちなみに、この中でももちろん語っています。

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二人とも、生きるか死ぬかみたいな問題に直面している人と比べたら、些細なことで悩んでいるように見えます。

でも、悩みなんてレベルがあるわけではなく、その人にとってつらければ、それはつらいと思うから、「そんなくだらないことで悩んでも」とは言えない。

その時は、その人にとっては、とても重大な悩みなのです。

そこは否定しない。

 

でも、大人になる過程で「ああ、あの時の私の悩みなんて小さなもんだったな」と少しずつわかってくるはずだし、むしろそう思わずに20年以上も「スクールカースト底辺でぇ~」とか言っていると、大抵の大人は「今さら何言ってるんだ?」となる。

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若さゆえの可能性と、年を重ねた実績と

さて、松本さんはここから「将来について」語りはじめます。

 

私も、いつかは大人になる。将来性を主張してここまで来たけれど、その信じられ希望を託された「将来」はすぐそこまで来ている。私は、社会からの期待相応の道を歩むことが果たしてできるのか、もちろん確信はできない。でも、前に進む行為自体がその「将来」なのではないかと思う。確かに、私は、ポテンシャル評価でこうして拾ってもらえたからこそ、達成しなければならないものはある。
(『田舎からスタンフォード大学に合格した私が身につけた 夢をつかむ力』より)

 

今の自分は可能性を評価されたけど、大人になったら実績を上げなければいけない、と。

この辺は、18歳の松本さんの方が、36歳のはあちゅうさんよりも「見えている」と思いました。

 

私には、はあちゅうさんは「私には何でも出来る、無限の可能性がある!」と10代で気付き、そのまま「私には可能性がある!」と思い続けたまま36歳になってしまったように見えます。

 

可能性を評価されるのは若者と呼ばれる年代までで、20代も後半になれば「可能性だけじゃなくてそろそろ実績も上げてね」になるし、30代になると「可能性とかもいいんだけど、実績はありますか?」だし、30代後半になれば「可能性はいいから、実績を出せ!」になる。

 

そして、家族が出来たり仕事が忙しくなってくると、自分の自由に使える時間も少なくなってくるから、限られた時間の中で、「本当にやりたいこと」を取捨選択していく必要が出てくる。

・・・んだけど、はあちゅうさんは未だに「無限の可能性を信じて」「やりたいことがたくさんある!」って言っているように見える。

聞くところによると、韓国語教室を週1日から週2日にしたらしいけど、それも「韓国語をマスターしたら新しい自分になれるのではないか」と思ってなのかな?と考えてしまう。

ただ単に褒められたいだけかもしれないけど。

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いずれにしても、暇そうで羨ましいわ。

 

 

はあちゅうになっていたかもしれない

私が、はあちゅうさんを気にしているのは、ここなのかもしれない。

ここで書いたように、若い頃の私も、自分は不幸で不遇だと思っていた。

けれども、大人になるにつれて、そんなことはないということに気づいたし、子供の頃の悩みは視野が狭いゆえだったなと気づいた。

 

・・・はあちゅうさんは、そんな私が怨みつらみを抱き続けた場合の、36歳の私の姿なのだ、きっと。

 

 

 

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