ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「話せばわかる」にイヤイヤ期の終わりを感じた


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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

最近、「子どもってちゃんと話せばわかってくれるんだな・・・」と思うことが増えてきました。

 

 

「ママとお話ししようか」から始まる対話

最近、私の大爆発からの賢者モードなのと、育児書とかを積極的に読むようにして、子どもとのコミュニケーションを見直しているところなんだけど、そういうこともあって、子どもと向き合って話をする機会が増えた。

「ママとお話ししようか」が合言葉で、その言葉をきっかけに、だいたい抱っこして向かい合って、お互いの気持ちを擦り合わせるという流れ。

 

今朝は、保育園に行きたくないだったんだけど、一通り「行きたくないよね」「まだ慣れないよね」「新しいお友達と新しい先生でまだ大変な時期だよね」と一通り受け止めてみた。

そしたら「だっこでいく」と覚悟を決めてくれたので、抱っこで行った(腰が痛いが我慢)。

 

ただ、いつでも抱っこ要求を飲むんじゃなくて、先週の金曜日は持ち帰りの荷物が大量にあったので、「ママはたくさん荷物があるから抱っこできないの。おうちに帰ったら抱っこするから今は歩いて欲しいな。協力してくれる?」と大量の荷物を見せながら言ったら納得して歩いてくれた。

これに、私自身がめちゃくちゃ驚いた。

そして、「成長のおかげかもしれないけど、今までちゃんと対話していなくて、こちらの要望や事情ばかりを押し付けていたのかもしれないな」と反省した。

 

 

ちゃんと話さないといけないよね

そんな感じで、「話せばわかるじゃん!」ってなったんだけど、逆に言うと、何も話さずに「これをやるんだ!」っていうのが通用しなくなってくる。

 

何時に何をするとか、あらかじめ今日のやることを話しておくとか、そういうこちらの説明が大事になってくるのだ。

でも、これを面倒くさがってはいけないなと思う。

 

・・・ってなると、必要なのは私の心の余裕とタスク管理と遂行力だったりする。

育児は自分自身の成長がめちゃくちゃ必要なのだ。

 

 

「話せばわかる」にイヤイヤ期の終わりを感じた

・・・と、そんな感じで色々と前に進んだ感がある。

 

そしてこの、「話せばわかる」がイヤイヤ期の終わりなんだろうなと思ってきた。

 

少し前までは、「荷物が多いから抱っこできない」というのが伝わらなかった。

子どもの理解の範囲は「抱っこして欲しい」の要望に対して、イエスかノーのどちらか、というところまでで、「ノー」の理由などの考慮はなく、ノー=拒否=許されざることだったから。

それが、「理由があるから、やってあげたいけど無理」がわかるようになったんだな・・・

 

イヤイヤ期っていうのは、この辺で終わるのかもしれない。

イエスかノーかの白黒だけではなく、自分の気持ちや自分の都合だけではなく、色々なことが絡み合って日々のやりとりが変わってくるということを理解できて、(親的には)ワガママ放題じゃなくなってくる。

 

聞くところによると、イヤイヤ期の次は「ナゼナゼ期」らしいけどな。

 

・・・頑張ろ。

 

 

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