こんにちは、ドクダミ淑子です。
自分とは違う人の人生の破滅を願うっていうのは、やっぱりどこか健全ではないなぁ・・・と思うことがあります。
私はこんなブログをやっていて、時々*1、はあちゅうさんに対してのあれやこれやを書いているので、なんていうか「ヘイト」「彼女への憎悪」みたいなものも集まってくるんですよ。
ざっくり言うと、彼女の人生の破綻というか、破滅というか、ブロガーで作家でコラボグッズのプロデュースをしたりインスタで子連れおでかけ情報とかを発信したりする彼女の仕事というかキャリア(と言えるのか?)が全てなくなり、社会的に抹殺されてしまえ・・・みたいな。
そういう人の言葉を見ると、「それはちょっと違うんじゃないか」と思う。
他人の不幸を願うのは、自分の精神にも良くないと思う
はあちゅうさんだろうが、誰だろうが、他人に対して不幸になれと願うことは、よろしくないのではないだろうか。
なぜなら、他人が不幸になろうとなるまいと、自分の幸せには全く関係がないから。
仮に、誰かが不幸になったら自分が幸せになると思っているなら、それは何かのボタンの掛け違いがあると思う。
自分と他人との距離感というか、人間関係というかの認識が誤っている。
そこは一線を画していないと、自分がおかしな方向に行ってしまうと思っていて、あくまでも、他人は他人、自分は自分、はあちゅうははあちゅう(読みづらい)。
不幸を願われる理由は、「誹謗中傷」の裁判なのよね
とか書いたんですけれどもね、そんな私でも、はあちゅうさんの不幸を願う人を見ていると、「こんなにも嫌われているってすごいな」「それなりに理由があるよな」と思ってしまう。
特に、「誹謗中傷」の裁判。
ある日ネットに書き込んだ「誹謗中傷(と言い難いものも含む)」を訴えられて、書類作成したりだの弁護士費用を払ったりだの、多大な労力とお金を使わざるを得ない状況に持っていかれる。
「血液クレンジングはステマ」で訴えられるなんて、おかしいじゃない?
この記事で「ステマですよね」「そうなりますね」って言っているし、ステマ(ステルスマーケティング)だろ?って思うんだけど。
そうやって、大変な思いをしている中で、はあちゅうさんがキラキラを装っていると、たしかに「不幸になれ」「治らない水虫になれ」と思うようになるのかもしれませんね。
たくさんの人に「不幸になれ」と思われるインフルエンサー、その背中には、もしかしたら、口と性格の悪い人たちの(失礼!)生霊がたくさんついているかもしれませんね。
末永いご活躍をお祈りしています
え?私はどうかって?
彼女の活躍を心から祈っていますよ。
だって、こんなに、発言や行動で私の日頃の行いや思考回路や人生そのものを考えさせてくれるような人、他にいないですから。
最近フォロワーの増加も横ばい状態ですし、反応率が悪すぎて気の毒になるくらいですけれども、ツッコミどころ満載の商品プロデュースをしたり、YouTubeでコラボだのなんだのしながら今まで溜め込んだ貯金を運用しながら、しぶとくキラキラを装って生き続けて欲しいと思います。
<参考>
【人気投票】はあちゅうのこと好き?嫌い? | 好き嫌い.com
こちらもどうぞ
*1:はあちゅうさんについて書くのは「時々」だと自分では思っています。実際に1800記事中100記事位なので、時々と言っても間違っていないと思う。