こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅう女史ってすごいですね。
なんだかんだで私の世界(Twitterのタイムライン)に流れてきます。
友達の友達は友達(mixiのキャッチフレーズだったような)みたいな感じで、フォロワーのフォロワーはみんなフォロワーなんでしょう、きっと。
さてさて、今回のはあちゅう女史はこんなことをつぶやいています。
- 結婚したから「いつ結婚するんですか?」と言われなくて済むようになった
- 結婚したら「子どもいつですか?」「妊娠しましたか?」と聞かれる
- 毎回聞かれるとジワジワやられる
- 妊娠しなくても太ったりむくんだりすることをわかってほしい
またかよ・・・と思ってしまうワタクシ。
周りの声を気にしすぎじゃない?
はあちゅうさんは、人の気持ちに無神経なくせに、自分のことは「わかってほしい」と言っているように、私には見えています。
気を遣ってもらって、褒められてもらって、なんならチヤホヤしてもらわないと気が済まないのでしょうか?
私は、「人は人、ウチはウチ」と言われて育ってきた
私は小さい時から、「他人(ヒト)は他人、家(ウチ)は家」と母親に言われて育ってきました。
大体これを言われるのは、私の要望が通らないときでした。
例えば、「みんなが携帯電話を持っているから、私もほしい」とか、「〇〇ちゃんの家はお小遣い月5000円らしいよ」とか、「〇〇君の家は期末テストで学年トップになると〇〇円、2位だと〇〇円なんだって」とか、そういう話です。
こういう風に、他の人の例を出しながらお願いをしても、ほぼ通りませんでした。
必ず母親は「ヒトはヒト、ウチはウチ」と言って、終了。
これは、決して私の家が裕福だったわけではないことが理由だと思うのですが、「他人のことを気にしたり、欲しい・やりたいっていう動機が他人のものなのはNG」という考え方になれたので、親には感謝しています。
あと、「〇〇ちゃんに、お母さんじゃなくてママって呼ぶのはおかしいって言われた」というのも、「ヒトはヒト、ウチはウチ」で流されました。
結局、呼び方は子ども達が呼ぶものだから「お母さん」になったけど。
「ママ」って言葉に憧れてたみたいなので、今となってはかわいそうだったかなと思うけど。
「はあ、そうでちゅか」でいいじゃん
周りの人っていうのは、勝手にアレコレ言ってくるもんです。
それはもう、仕方がない。
- 結婚はまだか
- 子どもはまだか
- 二人目はまだか
- 家はまだか
- 子供の結婚はまだか
- 孫はまだか
- 墓はまだか
- まだボケないのか
- まだ死なないのか
こんな風に「まだか、まだか」と言われ続けます。
あとは、太ったり痩せたりも「何かあったのか?」と言ってきますね。
就職して太れば「飲み過ぎ?」「いいもの食べ過ぎ?」、独り暮らしで痩せたり太ったりすれば「ちゃんと食べてる?」「ジャンクフードだけじゃダメよ」、結婚して太れば「幸せ太り?」、年を取って痩せれば「病気?」・・・聞いてくる人はどこにでもいます。
そんなのいちいち気にしてたら、生きていくのが大変です。
ましてや、毎回そういうことに反応したり、噛みついたりしていたら、いろいろともったいない。
お名前の通り、「はあ、そうでちゅか~」って言って流すのが一番だし、ダジャレに話題がそれるのでオススメですよ。
今の時代に必要なのは、スルースキルじゃない?
先日、「1,000円以下のオススメボールペン」っていう記事を書いたんですが、そのコメントで私のスルースキルが発動されました。
ついたコメントは、「そのボールペンは良くない」「〇〇の方がオススメです、2,000円で買えるし」という内容。
「はぁそうですか」という感想と、「1,000円以下でオススメって書いたのに、なんで2,000円薦めてくるんだ!?」というツッコミが出てきたのですが、散々考えた挙げ句にスルーしました。
また別の人の話ですが、Twitterで「当て逃げされた」と嘆く方に対して、「私は加害者ですが、被害者指定の修理工場にされて高い費用を取られました。こういうケースもあるから逃げてしまうのかも」なんて書き込みがありました。
私は「なんだそれ!?逃げて当然って話?なぜ今の流れでそれを言う!?自分語りはよそでやれよ」と沸点ピーピーだったのですが、ツイートの主は華麗にスルー。
知らん人と争っても仕方がないし、きっと主の方は精神的に大人だったのでしょう。
なにかモヤモヤしたときには、「まあ、そういう考えの人もいるよね」+「他人は他人、私は私」の精神で乗り切ることを、妊娠疑惑にいちいち傷つく人に教えてあげたいと思いました。
しかし、アラサーはまじで簡単に太るからな。
気を付けねば・・・(すでにデブ)
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