こんにちは、ドクダミ淑子です。
今朝、こんなツイートをしました。
今朝、夫が子に白いTシャツを着せたのですが、
— ドクダミ淑子 (@dokudamiyoshiko) July 12, 2023
「給食何かな~?」と冷蔵庫の献立表見ようとする私に間髪いれずに
「カレーだよ」という夫。
「なんでカレーって知ってるのに白い服着せるの⁉️」と一応ツッコミは入れましたが、私も私なのでそのまま登園させました。
我が家はそんな感じです。
まぁ色々ツッコミどころはあると思うんだけれども、当事者の私は「その日の給食即答できる夫はすごいなぁ」と思いました。
よく、はあちゅうさんは「パパは子育てしていない!」と言っているけれども、うちの夫は給食のメニューまで把握していますが・・・と、夫の子育てコミット具合に感動したものです。
子どもが生まれてから2年半経ちましたが、私たち夫婦はケンカというケンカをせずに、なんだかんだでここまで来ました。
夫からムッとされて「止めて」「邪魔!」「どいて」くらい言われることはあるけれども、本当にその程度で済んでいる。
これは2人とも(特に夫が)自分の頭で考えて動いていて、よっぽどのことが無ければお互いのやり方を否定したりしないからだと思う。
そして、「よっぽどのこと」は、今のところたぶん1回もない。
2人とも子の安全を第一に考えていて、それはちゃんと担保できている。
我が家では「給食がカレーの日に白い服を着せる」は「よっぽどのこと」に該当しないのです。
他人に期待しない
私も夫も、基本的にあまり他人には期待しないタイプで、「言わなきゃ伝わらない」と思っている。
お互い仕事で色々な人やりとりしていて、時にはポンコツと仕事をしなければならないことも多々あるというのが関係しているのかもしれない。
とにかく、他人に期待せず、自分で仕事を抱え込まないように分担しながら、分けた仕事には的確に指示出しをし、ミスがないようにして・・・という感じでやっている。
ついでに、お互い「やばい母親」がいるのも大きい。
母がやばい人だと子はしっかりするのだ(子どものためにも私もゆくゆくは、やばい母になろうと思う)。
「他人に期待しまくるマン」の登場
さて、そんな我が家に突如として「他人に期待しまくるマン」が登場しました。
・・・我が子です。
我が子はまだ言葉がおぼつかなくて、まるで「はるちゃん」を「はあちゅう」どころか「あーちゅ」と言うのがやっとくらいの発音レベルです。
それなのに、伝わらないと「なんでワシの言うことがわからんのじゃ!」と涙を流しながら怒るのです。
昨日は、「あぃしゅ」を「アイス」と間違えたら怒られました。正解は「バス」でした。
困った。
いや、わからんから・・・そんなにママとパパのヒアリング力に期待しないで!と思うけど、もちろんそれも伝わりません。
すごいな、この「自分の言うことを相手がわかって当然!」な感じ。
他人に期待できるのは
そう考えると、「他人に期待する」というのは、大人になる前の幸せな時期ならではのことなのかもしれないな、なんて思う。
大人になればなるほど、自分と違うタイプの人間に出会えば出会うほど、やばい人に遭遇すればするほど、「他人に期待してはいけない」ということを身をもって理解するようになる。
「他人に期待する」というのは、その前の、やばい人や分かり合えない人や、何をどうしても伝わらないと諦めなければならない人に出会う前の状態そのままでいられるということなのだ。
幸せなことじゃないか・・・
・・・そう思うと、子どもは出来る限り、理不尽な思いをしないように、小さいうちは最大限に期待にお応えしたいよねって思う。
他人に期待しない、社会の荒波に飲まれる前の純粋な気持ちの子を守りたい。
それと同時に、そんなピュアピュアなまま成人したらやばいな、とも思うけど。
ちなみに給食を食べた白いTシャツは、やっぱり黄色いシミがついていました。
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