ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

完全に「別世界」へ行ってしまった方が幸せなのかもしれない

こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

暑くなってきて、「私とは別の世界の住人」の方々をよく見かけるようになってきました。

何かをパンパンに詰めた大きなビニール袋を複数持ち歩く人、見た目は完全におっさんなのにすね毛の処理もせずにミニスカートを履いている人、脳内の誰かと楽しそうに会話をしている人などなど。

先日は、バス停で「発砲か!?」と思うぐらい大きな音で手をパンパンと叩いてバスが早く来るようにと祈っている人もいました。

 

ある日私はふと思ったのです。

こういう別世界の住人の方々には、世界はどう見えているんだろうか?と。

 

 

「普通でいたい」というところから悩みは生まれる

私たちの悩みというのは、だいたいが「自分が普通でありたい」と思うところから来ているのではないでしょうか。

 

道を歩けば人に迷惑をかけないようにと気をつけるし、何か驚いたことがあったとしても、うっかり声が出ないように気をつけるし、「普通じゃない」とか「変だ」とか言われたら腹が立つ・・・これらは全て自分が普通でありたいというところの表れなんだと思います。

 

「自分らしく生きる」と言いながらも、結局普通から外れることを恐れる、それが多くの人なんじゃないかな。

 

 

振り切った方が幸せなのかもしれない

それに比べて私が先ほど「別の世界の人」と言った方々は、そういう「普通でいたい」というところからも外れている。

世界の中心は自分であり、周りからどう見られようともどうでもいい。

 

なんか、そういう風に色々なものを振り切っちゃった方が、幸せなのかもしれないな。

 

「普通でありたい」

「変な目で見られたくない」

「ダメな母親だと思われたくない」

そうやって、知らない誰かからどう思われるか?なんて考えて、気づけばその「知らない誰か目線」を自分の中に抱えてしまう・・・

 

そっちの方が、しんどいのだろう。

 

そう思うと、すね毛ボーボーでミニスカートの男性なんかは、色々なものを振り切って、「私は私の好きな服装をしていて、周りにどう思われようと関係ない」だろうし、自分の中では100%「かわいい私」が見えているのだろう。

そう考えると、完全に「そっちの世界」に行ってしまった方が人は幸せになれるのかもしれない。

 

 

普通から離れられないのは当然ではあるのだが

まぁ、我々の大半はそっちの世界には行けず、せいぜいこっそりTバッグで生活してみたり、かわいいぬいぐるみをバッグに忍ばせるとかその程度で、「普通を装っているけど普通でない自分」にニヤニヤする程度で十分なのだろう。

 

それくらい「普通から大きく逸脱する」「変な人だと思われる」っていうのは、ダメージが大きいのだろうと思うし、その「普通でありたい」っていう気持ちは、意外と強いものなのではないかと思う。

 

・・・なんてことを考えながら子どもと歩いていたら、ミニーちゃんの耳をつけてちょっと毛の伸びすぎて汚れで黒くなっている小型犬を連れて歩くおばあちゃんが通りがかった。

「今日もいい天気ねぇ」と、思いっきりどんよりとした曇り空なのに言っていたけど、彼女にはきっと晴れた空の下でかわいいワンちゃんと歩くミニーちゃんの自分が見えているのだろうなと思った。

子どもも子どもで、汚れたモップみたいな犬を「ワンワン、カワイーッ!」と叫んでいた。

 

 

先日糖分が欲しくなって移動中のグリーン車で食べたコージーコーナーのシュークリーム。ブログの内容とほぼ関係がありません。



 

 

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