こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅうさんの土曜日に更新されるnoteを読みました。
ざっくりまとめると、こういう話。
- 私は得意分野も専門性もないけれども19年の長きに渡り発信していて、「ブロガー・作家」を名乗っているけれども作家という肩書にこだわりがなく、これと言った代表的な仕事もなく、色々な分野で幅広く活動している。
- そんな私だけれども、情報、勇気、希望を届ける発信者でありたいし、女性の生き方インフルエンサーになりたい。けれども、悩みの解決策は答えられない。でも寄り添うし一緒に考えるし、自分のフォロワーに投げてその返信を引用して拡散することもできる。
- フォロワーを支えるだけではなくフォロワーからも支えられたい。
なんか、パッと見だと良い感じの話になっているんだけれども、よくよく読んでみると言い訳がましいというか、各所に予防線を張りつつ、「特に何もない自分」を色々な言葉で飾り肯定しながらも、最終的にフォロワーに期待!みたいな感じが、「まさに、はあちゅう構文だよなぁ・・・」と思ってしまったのは、私がはあちゅうさんウォッチャーとして長年(といっても5年くらい?*1)活動しているからでしょうか?
そしてもう1つ、タイトルの「自分語りをするのは三流だよなぁ」という感想も出てきました。
自分語りをするのは三流
自分語りをする人を見て「三流だよなぁ」と思うのは、こんな時。
たとえば、キッズラインの社長が、シッターの性犯罪で逮捕されてから長らく発言していなかったのに、口を開いたかと思ったら、お詫びの後に「私がキッズラインを作ったきっかけ」と苦労話をし出した時。
社長より一連のお詫びと、安全対策、今後について- キッズライン
社員が性暴力関連のトラブルを起こしたという報告だったのに、いつの間にか「自分の心労が半端なくて痩せた」みたいな話をし始めた文章を読んだ時。
なぜトラブル対応の報告から始まったのに、俺痩せたとかの自分語り→オレタチカッケェ!団結力!になり、最後にカジュアル情報開示請求をチラつかせるのか、全くもって意味不明だった。キッズラインを思い出した。https://t.co/TE1BS4PWnj pic.twitter.com/Mpg9pUhxt6
— ドクダミ淑子 (@dokudamiyoshiko) November 25, 2022
こういう感じで、人はなぜか、「このヤバい局面を打破するためには」みたいなタイミングで唐突に自分語りを始めるものなのだなぁと思っている。
そしてそれは、シンプルに、ダサい。
自分語りを聞くと冷めてしまう
何度かこのブログでも書いたかもしれないけれども、私は、人を楽しませる立場とか、そういうことを仕事にしていこうと思っている人は、下手に自分の取り扱い説明書や経歴を事細かに解説したり、ある出来事の裏側を赤裸々に語ったりしない方が良いと思っている。
このブログでも何回か書いている例だと思うけれども、たとえば行きつけの居酒屋の大将がいたとして。
いつも美味しい料理と温かい雰囲気で、行くとホッと落ち着くお店だったのに、ある日突然大将が自分のこれまでの人生を語りだしたら、どう思うだろうか?
突然、「自分の商売の利益率の高い商品はこれ。自分もこのメニューを作るのが好きだし、今後はこの分野の売上を増やしていきたい」とか客に宣言し出したら、どう思うだろうか?
「いやいや、あなたのお店が好きだけれども、あなたそのものにはそこまで深い興味関心がなかったし、そんな話聞きたくなかった」
「自分は利益率の低い商品が好きだったんだな。なんだか申し訳ない」
「っていうか、売上の話とか客にしないで欲しいし、あなたの方向性なんて押し付けないでくれる?」
・・・私だったら確実に、その店に寄り付かなくなりますね。
いくら料理が美味しくても、酒がまずくなるから。
でも、そういう「自分語り」がなぜか許されるのが「インフルエンサー」の世界で。
そうやって、「自分のやりたいこと」「今後の方向性」「自分の夢」みたいなことを書いて、「ステキィ~」「かっこいい!」という声も出てくるのです。
なんでだかよくわからないけれども。
語るだけで満足して、実行しない人もいるよね
だいたい、そうやって「あれがやりたい」「これがやりたい」って語る人って、ぽいぽいとアイデアは出るけれども、それを実行する行動力と続ける根気があまりないイメージを持っている。
語った瞬間に満足しちゃう、的な。
実際に本当に新たなサービスを作り出す人って、もちろんアイデアを語ることもあるけれども、その間も手が動いているし、リサーチしているし、プロトタイプを作っていることが多いのではないだろうか?
はあちゅうさんの場合は、特に「今後の方向性について考えています」「あれもしたい」「これもしたい」「40歳になる時にはどんな自分になりたいか考えている」みたいなことを連呼している気がする。
そうやって、「方向性」とか言いながら、自分の得意分野を作ることからは逃げ続けているのが、謎で仕方がないんだけれども。
「得意分野がない」って、ビジネスの領域だと確実に「三流」、いや三流以下だぞ?
こちらは、はあちゅうさん関係ない、ただの「良い話」。
ぼんやりと生き抜く、というロールモデル
・・・とはいえ、彼女はしぶとく生き残っているので、きっと「何もなくても何となく人気で、そこそこ有名で、ぼんやり生き抜く」っていうのも可能なのかもしれませんね。
もしかしたら、ママ友みたいな感覚で、そういう「平凡で身近な存在で会いに行けそうだしDMしたら即読んでくれて返事くれる人」みたいな存在を求めている人も多いのかもしれない。
そういう人が、だらだらと「私には何の取り柄もなくてぇ~でも生き残っていてぇ~」と自分語りを書いていたら「親近感!」ってなるのかもしれませんね。
まぁ、私はそういう人に対して、憧れも何も抱かないですけれども。
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*1:と思って調べたら、私がはあちゅうさんを始めて認識したのは「CMは偏差値40の人にも理解できるものじゃなきゃダメ」のツイートでしたので、今月でちょうど6年でした。