ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

自分語りをしたがる人は、他人に語られるほどの大物にはなれないと思う

 

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

先日、ヨッピー氏がZOZO社長・前澤友作氏の密着をしている記事を読みました。

withnews.jp

それを読んで「面白かった」と思ったし、私は前澤社長にすごく好感を抱いたんですね。

それはなぜだろう?とまた数日考えて、答えとして出てきたのが、「自分語りをしない人だから」でした。

(あと、「人生楽しんでいるから」というのもあるかな。)

 

そう、私は、自分語りをする人って、結構嫌いなんです。

今回はタイトル通り、自分語りをする人について、私の偏見を、存分に、語っていこうと思います。

 

 

嫌いなのは、「自分すごい」に繋がる自分語り

最初に断っておくと、自分語りにも色々な種類があるんです。

 

  • 前回書いたような、自分の苦悩を吐き出すように書くことで昇華させていくようなもの
  • 汎用性・再現性のあるノウハウとしてまとめるもの
  • 書くことで宣言する、自分と約束をするもの

 

こういうのは、別に悪くはないと思う。

なぜなら、書くことの目的が「自分の心と決着をつけるため」「自身の成長のため」「語ることで他の人が上手く行くように」「同じ悩みを持っている人を勇気づけたい」とかだから。

自分や他人に対して、意識しているか、していないかは置いておいても「何かに生かそう」という気持ちで書いてあるから、それは良いと思うのです。

 

逆に嫌いだなと思うのは、最終的に「自分すごいでしょ?」「読んで私のことわかってほしい」「褒めてほしい」という目的で書いているもの。

具体性・再現性の全くない話を延々と聞かされた上に、「自分と同じように悩んでいる人に、オレが出来たからお前もできる!今から一歩踏み出そうぜ!」とか言っている文章を見ると、その最後の取ってつけた感にイラっとするのです。

ハァ?言い訳かよ?初めから「オレのこと褒めて褒めて~」って言えばまだ可愛いのに、そういう格好付けいらないんですけど~って思う。

 

 

自分で無理矢理ドラマを作っちゃってるのが痛い

私が嫌いな自分語り、具体的にいうとプロフィール1万字(ブロガー)とか、自分についての長期連載(キラキラ起業女子)とかを読んでいると、無理矢理ドラマを作っている感があるなぁと思うのです。

 

自分にとっては一大事かもしれないけど、周りにはどうってことない話だとわかっていながら、でも書きたいから誇張しちゃう・・・そういうのが見え透いているのが、なんだか苦手なのです。

 

 

自分を語るよりも、「やりたいこと」に時間を使ったら?

別に、決意表明のために書くのは否定できませんが、自分についてダラダラ語っている時間があるなら「やりたいこと」にもっと時間を使えばいいのにと思うのです。

 

気持ち・思いは行動に表れます。

だから、行動を起こしていれば、思いは伝わります。

「俺は彼女を愛している」と思ってそれをネットで語るより、目の前の彼女に伝えたり、プレゼントをした方が伝わるじゃないですか。

 

 

「自分スゲェ」語りは小物の証じゃない?

大物が自分についてモヤモヤ考えたりしないのは、そんなことよりも「事業」「ビジネス」に夢中だからで、ここが大物と小物の違いだと思うのです。

そして、大物であればあるほど、周りがヒストリーをまとめたり、賛否両論をやってくれる。

自分で自分のすごいポイントをまとめる必要なんてないんです。

 

自分について誕生から今までを振り返り、自分のすごさを盛り盛りにして延々と語る暇があるなら、もっと別のことができると思うのです。

 

 

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