ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

ふるえる程のしあわせが欲しい

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

はあちゅうさんが、「批評」についてこんなツイートをしていました。

 

 

これを読んで、私ももっと労力をかけて、深掘りし、対象に新たな解釈や視点を加えた上で自分なりの価値評価を下さなければ!と思い、はあちゅうさんの有料noteを読んでみることにしました。

月1000円か・・・よし!(ポチー)

 

そして読んでみて、色々と考えさせられることがありました。

 

初めに断っておくと、有料noteを引用し感想を書くことは、有料の書籍を買って読み引用し感想を書くことと同じで、「引用の範囲」を出なければ法的には何の問題もないと考えています。2022年2月3日時点で特に引用に関する規約もありませんでした。

はあちゅうさんご本人も、よく読んでいる本の写真やスクショをアップし、心に残ったフレーズを引用されています。

 

 

欲しいものは、何もない

今回、書いていきたいのは、1月のある日のこと。

 

センスの良いものがセレクトされている伊勢丹は、行くだけでウキウキする最近のお気に入りの場所になっていて、旦那と一緒に手をつないで歩いてみたかった。旦那がなんでも買っていいと言ってくれたけど、欲しいものは思いつかなかった。

もっと貪欲な女になりたい、と思うことがある。ハイブランドのお洋服やバッグを次々と欲しがり、節目ごとに買ったり買わせたり、それを当たり前にして生きていけたらいいのに。でも、そんなことでは幸せになれないことは自分が一番知っている。

結局ハマっているパン屋さんのパンを買って帰った。一回目にそこのお店のミルクフランスを食べた時はものすごく美味しく感じたのに、改めて試食してみたら、普通に美味しいけど特別美味しいわけではないかも…という気持ちが湧いて、キッチンに置いたパンの袋が急に色あせて見えた。

月刊はあちゅう、日記(1.18~1.24)より》

 

はあちゅうさんファンの方なら、いつの話かわかるかもしれませんが、ここでは敢えて触れないでおきましょう。

 

気になる方は以下のブログに答えがありますので、そちらをどうぞ。

www.dokudamiyoshiko.com

 

これを読んで、私は思いました。

 

もしも私だったら・・・普段はほとんど家にいない旦那さんを少しでも身近に感じられるように、アクセサリーやバッグ、キーホルダーなどの普段身に着けるようなものを買ってもらうだろうに、と。

あと、伊勢丹に行くことはあらかじめ決まっていて、よく行く場所なら「誕生日プレゼントの下見」をしておけばよかったのに、とも。

 

なぜ、素敵な記念日であるべき日が、こんな暗澹たる日になってしまったのだろうか?

 

 

完璧なものしか、欲しくない

これを読んで、私がまず思ったのは、彼女は「100%欲しいものしか、欲しくない」と思っているのではないか?ということです。

 

なぜ、その辺にあるテキトーな(といっても伊勢丹に置いてあるような素敵な)ものを買ってもらわないのか?・・・それは「彼女にとって、100%欲しいものではないから」なのではないでしょうか。

 

「そこそこ良いもの」を買ってもらっても、満足できない。

「本当に欲しいもの」を買ってもらったら満足するだろうけれども、それが見つからない。

 

そうだったとしたら、苦しいなぁ・・・

 

だからでしょうか?

はあちゅうさんは、楽天で沢山のお買い物をしてブログで紹介していますが、継続して使っているもの、愛用しているはほとんどないように見られます。

「これが人生を豊かにするかもしれない」と淡い期待を抱きつつ安いものをポンポン買って、「・・・やっぱりそこまで良くない」「思っていたのと違う」を繰り返している。

 

また、普段の彼女の買い物やファッションを見ていると、「1つで全てが満たされる魔法のアイテム」を探しているように見えることがあります。

過去のピンク色の髪の毛しかり、1枚でパッと華やかになるワンピースしかり、派手色のコートしかり。

 

「魔法のアイテム」という意味では、もしかしたら誹謗中傷訴訟もその1つで、「裁判して勝って賠償金ゲットして、マスコミに取り上げられて知名度も上がり・・・すべてがハッピー」みたいに夢見ていたのではないか?なんて思ってしまう。

 

 

相手が選んでくれたものが欲しかった

また、もう1つ。

「なぜ下見をしなかったのか?」の答えは、「旦那さんが選んで買って欲しかった」というのもあるかもなぁと思いました。

 

「春香にはこれが似合うと思う、はいどうぞ」と言われれば、それは大して欲しいものではなかったとしても、自分にとっての100%欲しいものになる・・・と思っていたかもしれない。

でも、彼女の旦那さんはおそらく「本人が欲しがるものをなんでも買ってあげる」というタイプの優しさの人なんですよね、残念ながら。

旦那さんは「俺が欲しいから」という理由である物を買ってくれました。

そう、「俺が欲しいものは俺が一番わかっているし俺が選びたい。同じようにカミさんが欲しいものは、カミさん本人が一番知っているだろう」と思っているのだろう。

 

もしも、この辺で嚙み合っていなかったら・・・切なすぎる。

「察してちゃん」と「察せない人」の組み合わせって、察してちゃんにとっては苦しいから。

 

 

ふるえる程のしあわせが欲しい

そんなことを考えていたら、思い出したのは『ハッピー・マニア』の最後のフレーズ。

 

恋の暴走列車・シゲタカヨコ(シゲカヨ)は、高橋という(ある意味)運命の人に捕まり、色々あって結婚することになったんだけど、マリッジブルーから結婚が決まった後も色々しでかして・・・最後の最後のシーン。

 

結婚式場でウェディングドレスを着たシゲカヨは「彼氏ほしい!」と叫んだあと、式場へ続くドアを見つめながら、このモノローグが流れるのです。

 

ふるえるほどのしあわせってどこにあるんだろう
これからもそれを探していくのかな

 

結婚式から逃げるのか!?シゲカヨ!!と、ずーっと思っていたのですが、その結果は『後ハッピー・マニア』でチラリと出ています。

www.dokudamiyoshiko.com

 

高校生の時からこれを何度も読み返していて、常に「いや、ここで落ち着けよシゲカヨ!」と思っていた、安牌を求めがちな私。

10代の頃から思っていましたが、今になってもやっぱり思うのです。

 

ふるえる程のしあわせなんて、無いんだ、と。

 

「無い」じゃないですね、ふるえる程のしあわせなんて一瞬なんだ、の方が正しいかな。

ふるえる程のしあわせは長い人生の中で極稀にあって、その他のちょっとした幸せがあって、私たちはだいたいその「幸せ貯金」で生きていく・・・と思っている。

 

もしも、今後夫との関係性が悪化したり、別れたりすることがあっても、告白されて、10年近く付き合って、一緒に笑いあって、色々なところにデートや旅行に行って、記憶に残るようなプロポーズされて、結婚式をして・・・って思い出だけでも一生自信満々で生きていけそうな気がする。

自己肯定感というバリア - ドクダミ自由帳

 

はあちゅうさんが、どういう幸せを思い描き、どういうモノやコトでそれが実現できるのかはわからないけれども、もしもシゲカヨのような「ふるえる程のしあわせ」を求めているならば、それはとても苦しい道のりになるんじゃないかと思う。

ちなみにシゲカヨは、なんだかんだで結婚して「45歳、専業主婦。子供なし、スキルなし、金なし。」で放り出されることになります。

「何もない!」と言いながら&言われながら、奮闘する姿はマンガだから楽しいのではないでしょうか?

 

人生を前に進めないと…という気持ちをいつも持っているのに、何が自分の人生を進めてくれるのかわかっていないから、宙ぶらりん。何をやっても満たされないし、いつも忙しいのに、いつも暇。

《月刊はあちゅう、日記(1.18~1.24)より》

 

 

もっと「深堀り」させてください

ちなみに、有料noteについては、なぜか即日「停止手続き中」になりました。

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ただし、返金不可なので2月末までは読めるようです。

期限まではしっかり読んで、また色々と「批評」していこうと思います。

 

 

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