こんにちは、ドクダミ淑子です。
自称「車椅子インフルエンサー」のことが話題になっています。
「車椅子の人間は外出するなってことか!?」とお怒りになられている方もいますけれども、そういう話ではなく、マジョリティの暮らす環境ではマイノリティが対応できないという問題を、安全性と効率とどう天秤にかけるのか?みたいな話だと思っている。
マイノリティの人には不都合なことや不便なことを、どちらも暮らしやすいバリアフリーな環境にすることは大切だけど、それによって今度はマジョリティの方に皺寄せが来るのは甘受しろというのはちょっと違うよなと思う。*1
件の車椅子で段差のある映画館の件は、平常時でも負担だけれども、非常時、何か災害が起こって一刻も早く避難しなければいけない事態になった時はどうするつもりだったのだろうか?
それで介助者も本人も共倒れになってしまったら?・・・そういうことを何も考えていないのが怖いなと思った。
けれども「皆が当たり前にできていることが自分にはできない」というストレスは、理解は出来る。
私はそういう時、「自分の努力や工夫でなんとかする」と考える方だけど、それが努力では何ともならない状況の人もいるし、「自分は努力も歩みよりもしない、他人や制度が変わるべき」と考える人もいることだって、分からなくはない。
ありがとうで卑屈になる?
ただ、「自分の身体が不便になった時に”ありがとう”と言うのは卑屈な気持ちになるかもしれない」という意見はあまり理解が出来なかった。
私が普段から「ありがとう」を連発しているからかもしれないけど、お礼を言うことになんとも思わないし、ましてや負けた気なんてするわけがない。
(ちなみにバスの乗り降りは「お願いします」または「ありがとうございました」と言う。幼稚園バスからの長年の習慣である。)
あとは、「ありがとう」って言葉がどれだけ介護職の皆さんの、仕事の原動力になるか?って言うのを知っているから、ちゃんと言った方がいいと思っている、というのもあるかもしれない。
「ありがとう」の響きだけで
以前「取材」について少し書いたけれども、私は結構な人数、介護職をしている人から話を聞いたことがある。
少なくとも50人は会ったことがあると思う。
その人達に、「仕事で嬉しい瞬間」を聞くと、50人中50人がこう答えるのだ。
「“ありがとう”と言われた時です」
多くの人はイメージがあると思うけれども、介護の仕事は大変だ。
身体にも負担がかかるし、時には心も負担がかかる。
「認知症」という言葉にどんなイメージがあるかは人次第だけど、「ボケる」と言っても人それぞれで、おとなしくなる人もいれば逆に暴力的になる人もいるし、叫ぶ人・暴言を吐く人、性欲がむき出しになる人だっている。
でも、介護の仕事はどんな人でも利用者ならケアしなければいけないのだ。
そんな中で、「ありがとう」と伝えるだけで、彼ら彼女らの心が少しでも温かくなるなら、私だったらいくらでも言いますわって感じになると思うな。
そのくらい、皆、ありがとうと言われた時に「この仕事をしてよかった」と答えるのだ。
正直なところ、若い頃の私は不思議に思っていた。
どうして全員が、ほぼ同じ回答をするのだろう?と。
「強い」エピソードかというと、そうでもない気がしていたから、違う答えを引き出そうとしていた時期もあった。
・・・けれども、と何度も何度も違う人から同じ話を聞いていて、「そこ」が介護職の真髄なんだろうなと思うようになってきた。
大変な毎日の中で、認知症の方や、寝たきりの方を介助しながら、自分の名前を憶えてくれない人や、憶えても翌日には忘れてしまう人とやりとりしながら、ふと「ありがとう」と言われた時、名前を呼ばれた時に、今までの苦労がブワーっと「やってよかった」に変わる。
きっとそういう仕事なんだろうな、と思うようになった。
「同じようなことの繰り返しの毎日」に見えるかもしれないけれども、そこには小さな「日々違うこと」がたくさんあって、最終的には誰もが無くなってしまうけれども、その直前まで、できるだけ楽しく過ごせるように、気配り目配りをする仕事。
「ありがとう」はちゃんと伝えようよ
介護や福祉の仕事って、仕事である以上お金のためではあるけれども、とはいえお金のためだけじゃやってられないことも沢山あるだろう。
そんな中、言葉で報われている人がいるということは、知っていて欲しいなと思う。
「ありがとう」と言われて、「仕事を頑張ってよかった、明日も頑張ろう」と思ってくれる人が目の前にいると思ったら、もっともっとたくさん言ってもいいんじゃないかな・・・と私は思うけどな。
本人が言えないなら、家族が言ってもいい。
自分(または自分の家族)のために誰かが動いてくれた、そのことに対する感謝の気持ちはきちんと伝えられる方が、健常者だろうが障害者だろうが「出来た人間」だと思う。
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*1:同じようなことを、以前「インクルーシブ保育園」に見学に行ったときに思った。健常児も知的障害児も同じように保育するとなると、健常児に向けられる注意力は知的障害児に向けられるそれとは違うだろう、と。