こんにちは、ドクダミ淑子です。
ある出来事がきっかけで、ふと思ったことを。
私は仕事の中で、色々な働く人にインタビューをしてきました。
その中で、障害者*1支援施設で働く人にインタビューする機会がありました。
「この仕事に就いたきっかけは?」と聞くと、8割の人からこの答えが返ってきたんですよね。
「親戚に障害者がいる」と。
関係者だけで完結してしまうのか?
親戚だったり、兄弟姉妹だったりに障害を持っている人がいて、それを支援している人がいることや、その仕事内容を知って、興味を持って・・・障害者福祉の世界に入ってきている人がいる。
それ自体は悪いことではないし、ある意味自然な流れだと思います。
でも、それだけじゃいけないと思ったんですよね。
障害者が身近にいた人しか障害者支援を知らず、業界は「そういう人」だけで完結している・・・だけなのは、ちょっと違うと思う。
もちろん、そういう人もいるけれども、そうじゃない人もいて、身内に障害者がいなくても障害者支援の仕事を選択肢に入れる人もいていいし、就活の時に初めて知って飛び込んでくる人だっていてもいい。
「福祉」を閉ざされた世界の中で完結させずに、もっともっと開かれた世界になっていいんじゃないか・・・なんてことを、よく考えた。
それは、福祉に関わらず、どんな業種・業界もなんだけどね。
思い入れが薄い世界で働く方が上手くいく場合だってある
そんな障害者支援施設で、採用担当者さんにこう言われたこともありました。
「ご自身に精神障害があったり発達障害だという人が応募してくることがある」と。
「障害者施設なら、障害があってもなんとかなるのではないか?と思って応募して来るのかもしれないけど、逆だからね。毎日が予期せぬトラブルばかりだから、やることが決まった定型の仕事がしたい人にはキツい」
「自分と同じような人を助けたいって志は素晴らしいけど、残念ながら続いた人はいない」
「その仕事に対して思い入れが強すぎると、上手く行かない時のショックも大きい。逆に何の思い入れも予備知識もない人の方が教えたものを素直に吸収しやすい」
わかる気がする。
私だって人材系の営業の仕事が好きで入社したわけではなくて、やっているうちに面白さがわかってきて、やりがいがわかってきて・・・って感じだったもんな。
「福祉」を閉ざされた世界にしないために
話は戻って。
「福祉」を関係者だけの閉ざされた世界にしたくないと思ったんですね。
親戚に障害を持った人がいなくても、福祉の仕事に向いている人もいる。
その人たちへ門戸を開けられた方が、人手不足も解消するし、「向いている仕事」に出会える人が増える。
だから、私は仕事を通してだけど、そういう出会いを作って行きたいなぁと思う。
いや、「行きたいなぁ」じゃなくて産休前は実際にやってたしな、復帰後もやりたいなって感じかな。
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*1:私が「障がい者」や「障碍者」と書かない理由は、ある施設の方の「そういう文字遊びみたいなことを気にする人は本気で彼らのことを考えていない人で、見栄えだけ整えて満足しているだけだ」という言葉に賛同しているからです。