こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅうさんが、どうやら4月にドバイに行くそうですね。
2泊5日で、単身で。
移住先の物件を探しに?
日本の凝り固まった環境から自分をリセット?
・・・とまぁ、色々とおっしゃっているようですが、私は「言い訳だな」と感じました。
ママとしての自分、そんなに嫌ですか?
はあちゅうさんの話を聞いていると、本当にこの人は「単身赴任で週末だけ帰ってくるパパ」くらいのポジションで息子さんと関わりたいんだろうなと思ってしまいます。
丸3日以上も家を留守に出来るなんて、自分のお母さん(息子君にとってはお祖母ちゃん)がもう育児のメイン担当みたいな感じになっているのだろうな。
・・・まぁ、それは各家庭のやり方があるので置いておくとして。
私が気になるのは、そういう「子どもに関わりたくねェ!」「面倒な事は全てお母さんに丸投げェ!」「独身時代みたいに自由気ままに遊びまくりたいィ!」みたいな気持ちを、絶妙に良い感じの言葉にコーティングして、言い訳ばかり言うところです。
「自分をリセット」とかさぁ・・・「気分転換」くらいの気持ちで言うかもしれないけれども、子どもって産んだら基本的には「子どものいない自分」には戻れないんだわ。
リフレッシュは大事だと思うけれども、リセットは出来ない仕様なんですよね。
・・・というか、多くの人は、そこまで「受精前のセーブポイントまで戻りたい(リセマラ?)」とは思わないわけで。
子どものいる自分という状態を受け入れながら、その中で子どもと一緒にどう楽しく生きていくかを考えるんだし、実際に子どものいる生活はめちゃくちゃ楽しいんだけどな。
言い訳上手は、自分を苦しめる
まぁそうやって、「自分をリセット」と定期的に子どもを置いて旅に出るのもアリかなーとも思うけれども、問題はそれを良い感じの言葉でコーティングしてしまうところにもあると思う。
「育児がしんどいから、子どもと離れマース!」って言えばいいのに、「凝り固まった日本の環境からの脱出」だの「男性社会で家庭に押し込められている女性としての自分がうんたらかんたら」だの、それっぽい言葉で、自分の「1人になりてェ!育児から解放されてェ!」っていう気持ちに対して、良い感じの言い訳を作っちゃうんですわ。
そうやって、自分の気持ちに蓋をしちゃうから、さらに拗れるんだと思うんですよね。
トリキ行って1人で飲んでいるお前が言うなって話だけど。
まぁでも、数時間くらい1人でボケーっとすれば、だいたいのことはリフレッシュ出来るんですわ。
「面倒くさい!」に蓋をせずに、定期的にガス抜きしながら、「母」としての自分を保っていく・・・くらいなのが、子どものいる人生なのだろうと思うのだろうけれども、きっと、はあちゅうさんはそういう感じではないのだろう。
リセットして、母という役割を完全に捨てて、本当の自分と向き合う・・・みたいな。
「本当の自分」はどこにいるのか?
でも、そういうので「本当の自分」なんて出て来ないと思んだよな。
ドバイに行って、向こうで移住して家族と幸せに暮らしている女友達なんかにあったら、また「母」という役割と向き合わなきゃいけなくなるぞ?
はあちゅうさんは、「母」や「妻」といった、誰かとの関係性の中にある自分みたいなのを取り払った「本当の自分」みたいなのをずっと探しているような気がしている。
(ただし、家事をしない「娘」ポジションと、元旦那さんの「パートナー」ポジションだけは死守しているのは興味深い。)
本当の自分はどこにいるのか?
・・・「ここ」にいるんですわ。
どこに行っても、どうやって探しても、「本当の自分」なんて見つからなくて、今、ここにある自分の姿が「本当の自分」なんですよね。
人生は1日1日の積み重ねで、昨日の自分・1週間前の自分・1年前の自分・10年前の自分・・・が、「今の自分」を作っているのだ。
だから、いくら「リセット」しても、特に自分の嫌な面なんてリセットできなくて、ちょっと消えた気がしてもまた別の悩みの時にそれが出てくる。
はあちゅうさんの場合は、それが「子育てが嫌い」なのかもしれなくて、もしもそれが本当だったら、かなりしんどい。
でも、「子育てが嫌い」って、子どもの前で絶対絶対絶対に言っちゃいけない言葉だからな・・・なんだかんだ言い訳を付けて、たまに長期の旅行に行ったり、合コン行ったり、パーティー(「ティー」の方にアクセントがある方)行ったりして発散していくものなのかもしれないな・・・子どもの気持ちを考えると、つらいけれども。
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