こんにちは、ドクダミ淑子です。
ここ最近、私は詰まっていた。
どうにかして、自分の心の平穏を取り戻そうと色々やっていたんだけれども、一向に良くならない。
高まる子どもの「遊んで」「抱っこして」の要望と、夫からの無邪気なプレッシャーと、何が正しいのかわからないし、そもそも「正しい」とは何なのか?とか、正しいよりもまずは滞りなく寝かしつけまで行けば手段は問わなくない?みたいなのとかで、頭がぐちゃぐちゃになっていた。
そのぐちゃぐちゃをクリアにするには・・・酒だ、酒が飲みたい。
(絶対クリアにはならないやつ!)
どうせ家で飲んでも一人だし(夫は酒を飲まない)、それに私は他人が注いだ酒と他人が作った料理を食べたい。
普段からランチは外食しているけれども、それはひとまず置いておいて、とにかく酒を飲みに行きたいのだ。
・・・ということで、3ヶ月くらい「行こうかな」と思いつつも封印していた、あそこへ行きました。
鳥貴族。
決行は、日曜日
その日は日曜日だった。
土日のお風呂と寝かしつけは夫と決まっていたはずなのに、いつの間にか「子どもがご指名した方で」というルールになっていて、土曜のお風呂と寝かしつけは私だった。
案の定、私は寝落ちしてしまって、土曜の夜のフリータイムはなく、深夜1~2時まで起きていたら朝も早く起きられず、中途半端な感じになってしまった。
そんな土曜日だったので、日曜は絶対に、出かけるのだ!
夕飯を食べて、夫と子がお風呂に入るように私は別室で整理整頓をし、お風呂から出た子どもの着替えやら寝かしつけのルーティンまでを完璧に終わらせた。
夫にも「ジムに行く」と嘘(も方便)を吐き、子どもにも「お出かけしてくるね」と言って、家を出て鳥貴族へ行った。
プレモルとチャンジャと、貴族焼き(たれ)を頼み、1時間ほど、久しぶりの1人飲みを堪能した。
こうやって息抜きをすると、「私は何に悩んでいたんだろう?」と思う。
2日くらいするとまた元に戻るんだけれども、やはり息抜きをするのは大事だ。
最終的にチャンジャが残ったので、あと1杯くらい飲みたかったけれども、まだ風呂に入っていないこともあったので、22時45分くらいに帰宅した。
・・・すると、子どもが「ママ、帰ってきた!」と嬉しそうな声を出した。
これが罪悪感というものか
え・・・まだ起きているんですか?
とりあえず、「おやすみ」とだけ声を掛けて、お風呂に入った。
その後夫から話を聞くと、子どもは「ママは買い物に行って、自分とパパの分の何かを買ってくる」とずっと嬉しそうに話をしながら待っていたらしい。
んで、そろそろ眠気が限界と思ったら私が帰ってきて、そのままスンと寝たそうだ。
申し訳なさが一気に襲ってきた。
最近、子どもの「重さ(物理的と精神的どちらも)」みたいなのでちょっと疲れているんだけれども、その私が「重さ」って感じているのは、単純にママへの愛なんだよなと思ったのだ。
パパと比べて、ママのことを舐めていると思うこともあるんだけれども、本当はそうじゃないのもわかっている。
ママは100%自分のことを愛していて、いつも自分のことを見てくれていると思っているのだ。
でも、私はそこまで人間出来ていないから、「自分と向き合う時間」が欲しくなってしまうんだよな。
ああ、もっと私が心の広い人間だったら・・・
息抜きは大事だけれども
とはいえ、私はやっぱり「息抜きは大事」だと思っている。
今でさえ詰まっているのだから、四六時中子どもと向き合っていたら、どうなるかなんて容易に想像できる。
私の心が狭いのは、もう簡単には変えられないことだし。
夫がいるんだから、パパがどうにかしろよとも思うし。
・・・んだけれども、もう1つ思ったことがある。
「この子を残して死ねないわ」と。
あの、「ママかえってきた~」の可愛い声を聞いて、ぶわっと色々と考えた中で、出てきた。
もうすぐママが帰ってくると思ってニコニコ待っていて、ずっと帰ってこなかったら・・・なんて思うと、それだけで胸がぎゅっとなる。
今までは、自分が不慮の事故で死んだとしても「自己責任」とか「運が悪かった」で済ますだろうなと思っていたけれども、子どもがいるとそうもいかない。
この子が大きくなるまでは、私も夫も、この子を残して死ぬわけには行かないわ。
今まで、子どもとの外出では最大限危険を回避しようと考えていたけれども、私が1人で出かける時も、今まで以上に注意していこうと改めて思った。
酒は1杯までだな。
あと、磯丸水産行っても風神・雷神は飲まない。
・・・と、鳥貴族から帰ってきて、そこまで考えてしまったので、結局リフレッシュになったのか、ならなかったのか、わからないお出かけになってしまった。
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