おこんにちは、ドクダミ淑子です。
ふと、「自分は大人になれているのだろうか?」なんてことを考えました。
成人済みの方は誰もが思うことだろうけれども、自分の中身って中2くらいからあまり変わってない気がする。
数字としての年齢だけどんどん上になり、身体はあちこち痛くなったり変化したりするんだけれどと、肝心の中身が大人になったとか成熟したかというと、あまり実感がない。
仕事の面では、周りを全て打ち負かしてやるぜみたいに尖がっていた時代を経て、丸くなったなとは思うことがあるけれども、じゃあ人間として大人か?というとそうでもないような気がする。
先日、隣の席の先輩から「娘がだらしなすぎて嫁がキレまくっている。しかもキレても娘には全く効いていない」という話を聞いたのだけれども、私はその娘さんに共感してしまった。
私はだらしないまま親になってしまったんだけど、5~10年後くらいに、大きくなった我が子にあれしろこれしろと言える人間になれるのだろうか?
(いや、ならなきゃいけないんだけれども・・・)
そんな時に、読んだエッセイがこちら。
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少し前に「料理家のエッセイを数冊買った」と書いていた時に買ったものなんだけれども、タイトルだけでとりあえず・・・って感じで手に取った本です。
どんな本なの?
公式サイトによると、こんな内容です。
ちょっぴりあがいてはいるけれど、年を重ねるのは楽しい
“おとな”には十分な年になった今だから思うこと、日々のことを、海辺の家に住む料理家が綴るエッセー集。
著者のプロフィールも引用しておきますね。
東京都生まれ。高校3年間を長野県で過ごし、 山の幸や保存食のおいしさに開眼する。 現在は、神奈川県の海辺の町に暮らす。 夫と大学生の娘の3人家族。 近所の直売所の野菜や漁師の店の魚などで、 シンプルでおいしい食事を作るのが日課。 気負わず作れる、素材の旨味を活かしたレシピが人気の料理家。
自分で味噌を作り、急に電気やガスが止まっても保存食で数日暮らせるくらいの方。
「急に電気やガスが止まったらレトルトカレーしかありません」みたいな今の私の対極にいるような方なのです。
気になった方はインスタも見てください。
おとなになってはみたけれど
さて、読んでみて。
キーワードとして挙げるとしたら「田舎暮らし」「50代」「手料理」「高校生の一人娘」って感じのエッセイ。
先ほども書いたけれども、私の生活とは全然違う方なんだけれども、普段の何気ない生活の中でつづった文章が、とても心地よかった。
読んでいて、「大人じゃん!」と思った。
私の中で大人というのは、自分の身の回りを律せる人。
もっと具体的に書くと、食べる物をきちんと調達できて調理できて、身だしなみを自分のスタイルで整え、暮らしを整え、生きる中で自分の「軸」みたいなものがある人。
そういう意味で、彼女はとても大人だと思った。
・・・だけれども、このタイトル。
「おとなになってはみたけれど」、の続きは何なのだろう?
文脈的には「子供の頃と変わっていない」「大人になりきれない」とか、そういう言葉が続くのだろうけれども、私から見ると「はぇ~大人じゃ、大人がいるぞ・・・」と思うような彼女であっても「けれど」が付くなんて。
ということは、「おとなになってはみたけれど」は、大人の誰もが抱く気持ちなのだろう。
気持ちが整うエッセイ
なんか最近は、本当に忙しくて。
「何がどう忙しいんじゃい!こんなブログを書いているくせに!」と思うかもしれないけれども、それはまた別問題で。
頭と心が忙しくて、ついでに身体も忙しいというか、夜早く寝て早朝に起きるみたいなライフスタイルになってしまっていて。
なので、朝はわりと元気で頭がクリアだったりするんだけど。
とにかく、日中~夜は、「オラオラオラオラオラァッ!」みたいな気持ちでいることが多くなった気がする。
そんな中、ちょっとぽっかりと空いた時間をこういう暮らしを大事にしている人の書く文章を読むと、気持ちがシャキッとする。
気持ちを整えたい時に、整った人の言葉は沁みるものですなぁと改めて思いました。
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