こんにちは、ドクダミ淑子です。
子育て、新たな段階に入ったなぁと感じることが増えてきました。
きっかけは、保活
少し前からそれは感じていました。
具体的に考えるようになったのは、バイリンガル教育やお受験対策する幼稚園の見学に行った時からかもしれない。
「子供が英語得意だったら、色々な面で将来に生かせるかもしれないな~」とは思うけど、じゃあバイリンガル教育を来年からやるか?っていうと、それはまた別問題になる。
個別の事象に対する意見や答えだけでなく、子育てをするにあたっての「軸」みたいなものを持つべきだろうな、と思い始めたのだ。
限度を知らない人達
私達夫婦はどちらかというと「ほどほど」という言葉を知らないタイプで、出来ることなら限界までやる!みたいな方針で日々生きている。
そんなこともあって、最近、シールのワークブックにハマっていた子供に「楽しんでいるし」「勉強になるし」と言ってどんどん買い与えていたら、1週間で7冊やってしまった。
1冊約700円くらいするので、突然5000円もシールブックに突っ込んでしまった。
そして今度はシールブックについたシートを私がハサミで切っているのを見て「チョキチョキ!」「はちゃみ!」と言い出したので子供用のハサミを買って、ついでにハサミ用のワークも買った(まだ折り紙で練習中)。
今度はハサミの練習関連のものがあふれるかもしれない。
ハサミなので折り紙で対応できるのが幸いだけど。
我が家のものを買う時の基準は、「必要なら買う」「子どものためになりそうだったら買う」で、金額をあまり気にしない(さすがにDWEとか買うとしたら金額も気にするかもしれないが)。
とりあえず今は、「やりたいことをやりたいだけやらせる」みたいな感じでやっている。
遊びに行くときもくたくたになるまで遊ぶし、そうしていると体力がめきめきついてくる。
・・・んだけど、これをずーっとやっているわけには行かないし、どこかで何かの線引きをしたり、「こういうルールで行きます」みたいなのを設定しなければならないのだろうなと思う。
まぁその辺は、平日に保育園に行っているからなんとかなるのかもしれないけど。
トミカ大量のはあちゅうさんの家を笑えなくなってしまう。
「方針」みたいなのを考え始める
あとは、保育園の登園時も悩む。
私は出来るだけ「本人の自分でやりたいという気持ちを大切にしたい」と思っていて、ゆっくりではあるけれども頑張って靴下を履いたり靴を履いたりするのを、じっと眺めている。
あとは、「気分が乗る」まで待っていることもあって、靴下で遊んだりふざけたりして、一通り遊んでから支度を始めることもあるので、気長に待っている。
けれども、夫からすれば「なめられている」と言う。
この前なんか、「ああ、あともう片方の靴を履いたら出発だ」というタイミングで夫がひょこっと玄関に出てきて、さっと靴下と靴を履かせて「いってらっしゃい!」と笑顔で子どもを送っていった(そして保育園まで連れていくのは私)。
私にはモヤモヤが大量に残ったのだけれども、夫からすれは、全部自分でやらせることよりも早く保育園に行かせてあげたかったのだろう。
これも、靴下を誰が履かせるか?という問題ではなく、「子どもにどのくらい身の周りのことを自分でやるようにしつけるか?って話。
このへんのお互いの考え方の違いが気になってくると、「夫婦で方針が違う」というやつになるのだろうなと思った。
まだ「方針の違い」までは行っていないけれども、最後の最後でそれ!?と私はがっかりした。
自由に描かせるか否か
私は子どもの描く色とりどりの絵が好きなんだけど、夫は、「見えるものを正しい色で描くように教えるべき」という考え。
なので、こういう虹色のスイカなんかも、どんどん変わってしまうのかもしれないなと思うと、それは少し悲しい。
ファンタジーでも子ども自身の色彩感覚を大事にしたい私と、見たものを正しく描くべきという夫・・・こうやって挙げれば挙げるほど、「文系と理系の差ってこういうところに出るかもナー」なんて、普段は考えないような枠組みにあてはめて自分を納得させようという気持ちになる。
そして、こういうところで今後は夫婦が揉めそうな予感がしてきた。
中心は「子どもにとって」なんだけど
そんなこんなで、もちろん、全てに「子どもにとって」ということを考えるべきなのだけれども、それ+親の考え方をミックスさせていくっていうのが、「教育」なんだろうなと思うようになってきた。
まだ、「人生の大きな決断」というものまではないのだけれども*1、至るところで「私はどう行動すべきなのだろうか」が目の前に迫ってきて、短期間で「とりあえずの答え」を出さなければならなくて、それが正しかったのかは常に考えて行き見直しをする・・・それが幼児~児童期の育児なのだなと改めて思った。
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*1:こう書いたけれども、既に住む場所、親の性格や関わり方、通う保育園、兄弟構成などで人生は動き出している気がする時もある。でも、「そんなことばかり考えていてもキリがないしなぁ」と思うテキトー人間の方の私もいる。