こんにちは、ドクダミ淑子です。
最近、子どもの食と夫の偏食と私の雑食に向きあってきて、思うことがあります。
「何でも食べられるって、味覚が鈍いんだろうな」と。
偏食の夫は、味覚も嗅覚も敏感です
うちの夫は結構な野菜嫌いで、食べられる野菜が10種類くらい。
付き合っている頃からそんな感じだったので、もう今は諦めの境地なんだけど、最近、夫の方が味覚や嗅覚が敏感なんだろうなと思った。
夫はよく、「変な臭いがする」と言う。
ブロッコリーを茹でた時、キャベツを刻んだ時など、私が何とも思わないような時でも、敏感にその臭いを感じ取っている。
そして味についても。
私は市販の「おろしポン酢ジュレ」くらいだと大根が入っているのはかろうじてわかるけど、「苦い」「辛い」とは思わない。
けれども、夫はそのへんもうるさい。
嫌いな野菜が入っているかどうかのセンサーが敏感で、しかも「レタスの葉っぱならかろうじて大丈夫だけれども、芯はダメ」とか言う。
その違いが、私にはイマイチわからない。
私の舌と脳みそは、両方とも「レタスの味」として認識しているのだけれども、夫はそうではないらしい。
そう考えると、夫の方が色々と世界が深いような気がしてくる。
人生損しているのはどちらの方か?
私自身は、「○○が食べられないなんて、人生損している」とか言う人はとても嫌いだ。
だから、何かを食べられることと食べられないことで「損」「得」って気持ちは持たないようにと思っているのだけれども、もしかしたら「損」、というかもったいない事をしているのは私の方なのかもしれないなと思い始めてきた。
偏食の人の方が、繊細な味覚を持っているのではないか?
ってことは、嫌いなものはさておき、好きなものの時に感じる「美味しい」はすごい感覚なのではないか?
夫婦共に好きな料理を食べる時、私が「美味しい」と思うのよりも、夫の方が感じる「美味しい」の方がはるかにその美味しさっていうのは鋭く深く感じられているのではないか?
・・・なんて思えてきた。
そのくらい、自分の味覚の「鈍さ」みたいなものと、夫の味覚の「鋭さ」を感じることがある。
昔はそこまで考えていなかったんだけれども、夫と私だけの世界に子どもが出てきて、そんなことを考えるようになった。
偏食と雑食の世界の差
うちの子はどうか?というと、私に似て比較的何でも食べる。
幼児が嫌いな食べ物にランクイン常連のニンジンやピーマンも、実は嫌いな人が多いトマトやナスも、「酸っぱいものって苦手な子どもが多いんですぅ(はあちゅう談)」なオレンジジュースも好きだし、なんなら、もずく酢も「すっぱ~い、けど、おいち~」とか言って食べる(かわいい)。
でも、カボチャとかサツマイモは嫌いのようで、見つけると「はい、どーじょ!」とパパかママに渡す。
子どもには子どもが感じる「味覚」っていうものがあるのだろう。
偏食でもいいじゃないかという気持ちです
私はずっと、何でも食べられる自分として生きてきたので、「偏食の人は色々と苦労するし、大変だろうな」と思ってきた。
でも、とりあえず今の社会は、偏食でも餓死することはない。
だから、(健康に支障をきたさない範囲で)偏食だろうと何でもいいかなと思えてきたし、むしろ偏食=味覚が敏感という点が羨ましくなってきた。
偏食と雑食の差は、きっとずっと埋まらないだろう。
だから、雑食の方が偏食な人を「人生損している」と言い、偏食の人が雑食な人を「あんなものを食べられるのが信じられない」と言い、世界は回っていく。
でも、それぞれがそれぞれの感覚だけしか知らずに生きていくので、どっちが良いか悪いかなんて、わからない。
自分の味覚を信じて、自分の脳が発する信号に素直に応じながら生きていくしかないんだろうな・・・と思う。
思うんだけれども、私は1度でいいから、夫の味覚と自分の味覚を入れ替えてみたくなってしまったのだ。
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