こんにちは、ドクダミ淑子です。
ちゃんとした料理を作っている人ほど、作るのがつらいとか献立を考えるのが面倒だとか、そういう悩みに陥るのだろうなと思うことがあります。
頑張るからつらくなるのではないか
・・・というのも、毎日毎日テキトーな料理とも言えないものを作って子どもに食べさせ、自分も食べている私には、「料理がつらい」という感情がわかないからです。
きっと「つらくなるほど、頑張っていない」からなのでしょう。
部活やユースチームでやっているからこそ、ガチ勢ならではの「つらさ」を、公園のその辺でテキトーに遊んでいるエンジョイ勢が味わうことがないように、「頑張っているからこそ、ちゃんとやっているからこそのつらさ」というものがあるのだろうと思う。
嫌なのに頑張るとさらに嫌になる
そんな、料理エンジョイ勢の私は時々、「料理作りたくない」という料理上手さん達のツイートを見るのですが、それでも結局彼女らは「つらい」「面倒くさい」と言いながらもそれなりの料理を作っています。
私、これが良くないと思うんですよね。
「嫌だ嫌だ」と思いながら、「いつもの3割くらいしかやる気ないけれども、その3割のやる気を絞りだしてなんとか料理を作った」っていうのが、料理したくない病を加速させる気がするんですよ。
「嫌だけれどもやらなければならなくて、嫌だけれども行動した」という「嫌だけれども」というのがさらに「嫌だ」を増幅させるんじゃないか・・・と。
これは料理ガチ勢じゃないからこそのアドバイスなのかもしれませんが、嫌だなと思ったら、そういう時は料理の手間をゼロにした方がいいと思うのです。
ゼロというのは、「手抜き料理を作る」じゃなくて、「料理を作らない」。
惣菜を買ったり外食したり、それが難しかったら「肉をゆでてポン酢をかける」くらいのことしかやってはいけないというレベルのゼロ。
料理をしたくない時は食器洗いもしたくないと思うので、テイクアウト容器そのままか、紙皿みたいな捨てられるものじゃないと。
そうやって、嫌なことを無理してやるというのを徹底的に止めた先に「作る気が出る」という風になるという内容を、この本で読みました。
炊飯器調理は楽しいぞ?
エンジョイ勢の私は、時々、土日の夕方とか少しだけ仕込みに時間があるときにちょっとだけ料理を頑張るようにしています。
「ちょっとだけ」というのは全くもって文字通りで、ちょっと仕込んで炊飯器か電子レンジのスイッチをピッと押す、くらいの頑張りっぷり。
つまりは平日はそれ以下の労力で夕飯を作っているということです。
この前は、炊飯器で4品作れるというレシピを見て、試してみました。
水加減がイマイチで(気持ち少なめにすべきだった)、クッキングシートがなかったので野菜は結局電子レンジで調理したんだけれども、それでもなんとなく「ちゃんとした料理」を作った気分になりました。
そして炊飯器調理のいいところは、仕込む→ボタンを押すで、それ以降は炊けるまでやることがないところ。
その日は夫と子どもが夕方に美容院に行き、私はその間に炊飯器調理を仕込み、公園で合流して3人で遊び、帰ってきたら夕飯が出来ていました。
土日のご飯作りは、今はそのくらいがちょうどいい。
インド人は、毎日カレーだし
どこかで、「日本人は料理をちゃんと作りすぎる」みたいな言葉を見かけたことがある。
欧米の食事は実はテキトーだし、アジア諸国は外食や買ってくるのがスタンダード、日本だけは一汁三菜みたいな感じでしかも毎日違うものを食べている云々みたいなの。
そうだよねぇと思いつつも、毎日違うものを食べたくなるのもまた事実であり、困ったものではあります。
色々なものを食べたいっていう気持ちよりも「料理、したくねぇ!」って気持ちが勝る時は、「インド人は毎日カレーだし」と思っておくのが良いと思います。
毎日カレーといっても、材料は色々変えているのかもしれないけど。
「料理、したくねぇ!」の解消には、一切作らないのが一番。
そうやって怠けていると、「たまには作ろうかな」とか「あれ作りたいな」とかいう気持ちになる・・・かもしれません。
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