ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「お腹を痛めて産んだ子だから」と言われるのが解せなかった


こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

今となってはどうでもいい話なんですけど、反抗期の時に「私のことなんてお母さんはどうでもいいんだ!」という感じのことを言うと、こう返ってきたのに納得してなかったことを思い出しました。

 

「そんなわけないでしょ!?あんなに苦しい思いして産んだのよ!?!?!?」

 

 

苦しい思いした=愛している?

これを毎回、ケンカのたびにやってて「そんなこと知らねぇ!」と思っていたし、これを聞いて「そうか、じゃあ私のことは好きなんだ」とは思えずにいたんだけど、最近のふと思い出した瞬間に考えて、「やっぱり苦しみと愛は繋がらないな」と思った。

 

私だって、母に負けず結構苦しんで産んだ方なんだけど、苦しい思いをしたから我が子に対して愛情があるわけではないんだな。

別にスーパー安産であっても、スーパー難産であっても、産んでいなくても、「苦しかったから愛している」と言う風にはならないわけで。

 

・・・ということが、やっとわかった。

 

 

「好き」に理由なんていらないじゃないか

まぁうちの母の場合は、「自分が苦労して○○した=愛」みたいな感じに考えていて、わりと「○○が大変、つらい」とか言っておきながら「そんなに大変なら、やめたら?」みたいに言うと「でも・・・」とか言い出すタイプなんだよな。

大変だったこと=やりがいがあったこと、みたいになっている。

 

出産後に約半月、里帰りさせてもらってゴロゴロしていたんだけれども、その時にもちょっとケンカしたことがあった。

その時も、「私は仕事もしながら大変な中毎日ご飯を作っているのに・・・」みたいなことでグチグチ言われて、「ご飯は毎日同じでいいって言っているのに、勝手に毎日たくさん作っているんじゃん!」「でも、あなたが喜ぶと思って・・・」「それで文句言われたら私は嬉しくないんだけど?」みたいなやりとりをした。

母は悪くないし、むしろ居候していた私が悪いんだけど、とにかく、よくわからないけれども母は「苦労=愛」と思う傾向があるんだよなぁ、と思い出した。

 

 

ストレートに「大好きよ」と言えばいいのに

私や私のきょうだいは、割とハードめの反抗期を過ごした時代もあったんだけど、母はそういう時も、「お腹を痛めて産んだ子だから」「習い事にも毎週送り迎えして」「土日は部活のサポートもして」みたいな、「自分の負担」「自分の苦労」みたいな話をして、「だからあなたのことを愛している」と伝えていたんだけれども、なぜそうやって自分のことを重ねて、「だから」と繋げようとしたのだろうか?なんて思う。

実際に、そんな言葉で反抗期のガルガル人間の気持ちがおさまることはなく、むしろヒートアップしていたんだけどね(特に私以外の人が)。

 

あの時、もっとストレートに「あなたのことが大好き」と伝えてみたら、反抗期の少年少女はもう少し落ち着いたかもしれない。

こればっかりは正直わからないけれども。

 

 

子どもにどう愛を伝えるか

・・・ということで、自分の子供に対しても、どうやって愛を伝えようか、ということは考えるようになった。

 

どう考えても、反抗期の子に対して「産んだ時の苦しんだ声を録音しておき、それを聞かせる*1」というのは効果はあまりないと思う。

「好きだから、○○みたいな面倒なことをしてあげている」というのではなく、「あなたのこういう所が好き」とか、「理由なんてない、とにかく好きだ」とか伝えたいなぁと思うけれども、それはそれで説得力がないと思われるのだろうか・・・

 

何をどう言っても、結局は反抗されて終わりなのかもしれないけれども、でも「私が苦労したから、愛情を持っている」みたいな言い方はしないようにしたいものだ、と思ったのでした。

 

 

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*1:『子供がずっと欲しかった』の中のエピソードの1つ。将来反抗期の子供に利かせる予定らしい。