こんにちは、ドクダミ淑子です。
随分前に「メルカリのポイントが余ってるからオススメの本を買って感想を書きます」みたいなことをやったことがありました。
あれから時が経ちましたから、皆さん忘れているか、そもそもそんなこと知らんって感じだと思いますが、私は忘れていませんよ!
・・・ということで、久しぶりに「フォロワーさんからオススメされた本の感想」をお送りします。今回は、こちら。
|
過去の感想文はこちら
ここに、他の本のリンクもあります。
どんな本なの?
公式サイトによると、こんな内容です。
ニックは34歳、ニューヨークで雑誌のライターをしていたが、電子書籍の隆盛で仕事を失い、2年前に妻エイミーとともに故郷ミズーリ州の田舎町に帰ってきた。しかし、両親ともに高名な童話作家で、その人気児童文学シリーズのモデルでもあったニューヨーク育ちのエイミーにとって、この田舎町での生活は決して満足するものではなかった。
そんななか、結婚5周年の記念日にエイミーが突如謎の失踪を遂げる。家には争った形跡があり、確かなアリバイのないニックに容疑がかけられる。次々とニックに不利な事実が浮上するなか、彼はみずから妻探しを始めるが、その一方で何かを隠すかのように嘘を重ねるのだった……。
ニックの語る結婚生活と、交互に挿入されるエイミーの日記。夫婦双方の言い分からなるふたつの物語が重なるとき――。大胆な仕掛けと息苦しいほどの緻密さで描写される夫婦のリアルな愛憎劇、やがて浮かび上がる衝撃の真実とは――。
帯に書いてあったけれども「イヤミス(嫌~な感じのするミステリー)」だったのね。
なかなか読み進まなかった
こんなに時間がかかってしまったのは、理由があって。
本当に読み進めるのがしんどかったのです。
話者は行方不明になった妻のエイミーと、残された夫のニックなんだけど、そのニックの女性蔑視というか、妻をはじめとする女性への見下した視線とその心理描写が不快すぎて、「読みたくない」と思っていた。
特に初めがしんどくてたまらなかった。
捜査に関わる女性達の言動や見た目を小馬鹿にし、「お前らは男がいなければ生きて行けないんだろう?それなのに偉そうに俺に歯向かうのか?」みたいな気持ちを常に持ち続けている・・・みたいなのが、読んでいて不快感が込み上げてきた。
「なぜこんなしんどい気持ちになるものをリクエストしてきたんだ?」と、このタイトルを挙げてきた人の狙いを推し量ろうとしたりもした。
上下巻あって、上巻の後半くらいまでとにかくニックが嫌で嫌でたまらなかった(最後までニックは嫌だった)。
そこから少し話が進んできて、ガーッと読めるようになってきたんだけど、まぁその後の展開も結末もひどいものだった。
嘘につぐ嘘、本音と建前、作り上げたセルフイメージと実際の乖離、それは愛なのか義理なのか錯覚なのか単に思い込もうとしているだけなのか・・・行方不明になった妻の行方は読者はわりと早い段階でわかるようになるんだけど、じゃあこの後どうするの?が行ったり来たりして、考えがコロコロ変わって、夫婦それぞれの「真実」とか「本心」とかがどこにあるのか、最後までわからない。
相手を殺したいと思うほど憎んだかと思ったら、ある出来事でコロっと「わたしは彼を愛している、彼もわたしを愛している」みたいなこと言い出すし、かと思ったら「あなたを刑務所送りにできるのよ?」「あのクソ女を裁いてやる」みたいになったり・・・で、結局、そのオチ?ってなるのだ。
私にはこの2人の思考回路がさっぱり理解できず、最後の最後まで「不快だわ」と思いながら読んで、終わった。
はあちゅうと重なる?
さて。
この本をオススメしてくれた方は、なぜ私にこれを指名してきたのだろうか?と考えてみることにしましょう。
その方は、「はあちゅうの行いがリアルゴーン・ガールだ」ということを発言されていたと記憶しているのですが、私はそうは思わなかった。
メディアに作られたイメージとか、最終的に本を出版して「これを私の正史にする」とか考えちゃうところとかは、たしかに似たところはあるのかもしれない。
でも、はあちゅうさんにはここまでの狡猾さとか、計画性とかは感じられない。
エイミーは、自分の描いたシナリオを皆に信じ込ませるために、たくさんの罠を張り巡らせる。
「あの事件が、こうやって陥れるための布石になっていたのか・・・!」みたいなことが、小説の中にはあるんだけど、はあちゅうさんにそういうことはない。
初めから規約に書いておくのではなく、訴える直前に規約を書き換えたりするのだ。
そして、書き換えたことがあっさりバレる。
そして、裁判所からも嘘つきとお墨付きをいただく。
・・・これではエイミーとは言えないと思う。
小説の結末は、「共依存」みたいな感じで終わるけど、はあちゅうさんの元旦那さんは、あっさりと、自ら家を出ていった。
そういう意味でも、エイミー的な人の心を縛りコントロールしていく「恐ろしさ」がはあちゅうさんにあるのか?というと、私にはそうは感じられなかった。
1人の男が救われたストーリーなのか?
ここからはハッキリネタバレになります。
結局、女性蔑視のクソ男は、なんだかんだでエイミーに手懐けられて、女性を憎みながらも、エイミーには屈服する形になった。
ただしこの先、エイミーが先に亡くなろうものなら、その手綱がなくなり、きっとまた女性蔑視の人間に戻るのだろう。
「クソ女」を連呼する、妻を失い認知症になった彼の父のように・・・
そう、これは「再生産」「継承」の物語なのだ。
「ああはなりたくない」と蔑み、憎んでいた父のように、結局はなってしまう。
・・・この「親子の呪い」というのは、なかなか解けない。
エイミーだって、子どもを支配下に置く自分の両親に、似た人間になっているし、今後家族が増える中でさらにその支配性は強まっていくだろう。
どうして男女は憎み合い、差異を認めるのではなく馬鹿にし合い、自分の方が正しい、相手の方が間違っている!と思ってしまうのだろう。
そして、どんなに強く「ああはなりたくない」と思う同性の親に、年を重ねるごとに似通ってきてしまうのだろう。
私が嫌悪感を抱いたのは、この、私が避けて通りたい話題にズバズバと切り込んできたからなのだろう、と思う。
こちらもどうぞ