こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅうさんのあれこれを最近追いかけているのですが、読めば読むほど、彼女は自分に自信がないんだろうな・・・と感じます。
他人の添え物になる人生は嫌だと思いながら自分の実績を作ろうとして、自分の人生を生きるためのパートナーを見つけて事実婚をしたんだけれども、それで自信がついたかというと、そうでもなさそう。
「じゃない方芸人」だと感じてしまったりとか、母親や妻という自分はアイデンティティが失われて云々とか。
「私はこれで良いのだ」とならないで、「私はこれで良いのかな・・・?」と常に迷っているように見える。
一言でいうと、自信がないように見えるのだ。
なぜか自信マンマンの私
そうやって色々考えていると、私自身の自分に対する自信や、自己肯定感の強さに気づく。
私は別に、自分が好きで仕方がない仕事に就いたわけでもなく、特別優秀なわけでもなく、夫よりも自分が優秀で収入が上かというとそうではなく(夫は妻の目から見て、とても仕事が出来る人だと思う)、何か秀でたことがあるかというと、別にそんなこともないと思う。
でも、その中でも自己肯定感マンマンで、自信マンマンで、楽しく生きている。
その理由はどこにあるのだろう?なんてことを考えてしまう。
20代前半で乗り越えた気がする
私だって常に自信マンマンで生きてきたかというと、別にそうではない。
特に大学生になったばかりに自分がブスだということに気づいた瞬間なんかは、もう消えてしまいたいくらいの気持ちになったこともあった。
今書いていて思い出したけれども、私もはあちゅうさんのように、自分がブスだと言われてショックを受けた時代もあったのだ。
平和な環境で生きていると、自分がブスということはなかなか気づかない。
でも、そんな中でブスな自分との向き合い方を見出したり、ブスだからと言って卑屈にならずに生きてきたら、人を見た目で判断しない人(現・夫)に出会ってさらに自信マンマンになったって感じ。
さらに、同じ仕事を出来ないなりにずっと続けてきたら、仕事についてもだんだんと出来るようになって、それも自分の自信になった。
パラレルワールドの自分に思えることもある
そう、だから、今のはあちゅうさんの迷走って、私には他人事に感じられないのだ。
もしも、私が20代で色々な壁を乗り越えられていないかったら、自責にせず他責にし続けて「私は悪くない」と言い続けていたら、頼れる人や尊敬できる人、この人の言うことに全力でついていこうと思える人に出会えなかったら・・・きっと今の彼女のようになっていただろう、と思う。
いつも誰かのせいにして、社会のせいにして、自分の欠点や人間関係の問題点に向き合うことから目を背け、誰かを「下」にすることで自分のプライドを保つ。
私は、#はあちゅう さんを買いかぶっていたかもしれません。良き母でありたい人は、「私に人生丸投げの息子(3歳)」なんて言いませんね…
— ドクダミ淑子 (@dokudamiyoshiko) October 25, 2022
愛情を持った表現だと思いたいけど、言葉の端々から「私より下の存在」「私がいなければ生きていけないんだろ?」「世話される立場」というものを感じてしまう。 https://t.co/lEu78OQUhC pic.twitter.com/dKZfvqN5He
#はあちゅう さんが息子君のことを「猿」って言うのにモヤモヤしてしまう。
— ドクダミ淑子 (@dokudamiyoshiko) September 12, 2022
もちろん愛情を持って言っているとは思うけど、「人間として見ていない」「小馬鹿にしている」と感じるからなのか、 「コンテンツとして面白ければ何でもいい」「周囲からの子供の見られ方を無視してる」と感じるからなのか… https://t.co/HIjhhbqg0x pic.twitter.com/9JYL8HolfW
だからこそ、私は彼女をウォッチして、「はあちゅうにならない道」を考え続けているのかもしれない。
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