こんにちは、ドクダミ淑子です。
保育園に入って、少しずつ慣れてきている今日この頃。
・・・というか、他のお友達の様子を見ているからか、1週間くらいで目まぐるしく「え?これも出来るようになったの?」が増えています。
その変化を、我が家では「大型アプデ」と言っているのですが、困った方向にもアプデはされているようです。
道ばた座り込み事件
まずは、こちら。
うちの子は、行きは歩き+途中から抱っこで登園し、帰りはALL抱っこで帰ってきます。
最近は帰りは泣かなくなったのですが、帰り道の途中で抱っこから降ろすとか、ちょっと公園寄っていく?とかは、全然ダメでギャン泣き。
一度家に帰って、心を落ち着けてから別の場所に出かけるというスタイルにしています。
そんなある日、降園時に子どもがリュックを手に持ったままだったので、一旦抱っこから降ろしてリュックを背負わせようとして、道ばたに立たせたことがありました。
すると子どもは、「リュックを取り上げられる」と思ったのか、リュックに覆いかぶさるようなスタイルで・・・そのまま硬直。
おいおい、道ばたで突然座り込んだぞ!?
子どもは私がやりたい事(リュックを背負わせて抱っこで家に帰る)が理解できていないようで、リュックを取り上げられまいと必死で防御しています。
いやいや、リュックは背負おうよ?
結局、リュックは手に持ったまま、再び抱っこして帰りました。
私の頭の中には、あの単語が浮かんでいました。
これは・・・世にいう「イヤイヤ期」の典型パターンではないか?
すべり台とシャベル事件
続きまして、こちら。
最近、お砂場遊びを覚えたんですよね。
子ども用のシャベル(スリコ製)を持って、砂場の表面をシャッシャと擦る程度なのですが、きっと本人の中では砂を掘っているのだろう。
それはとても喜ばしいのですが、そのシャベルを手に取ったまま、すべり台の階段を上ろうとするのです。
おいおい、君にそんな実力はないぞ?
危ないから、シャベルかすべり台か、どっちかにしなさい。
・・・というのは、もちろん伝わらなくて。
シャベルを取り上げようとすると泣くし、すべり台から離そうとすると泣くし、シャベルを持ったままだと手すりに掴まれないからやっぱり泣くし・・・
・・・からの、キイイイイイッ!と金切り声を上げるんですわ。
最近、このキイイイッ!っていうのが増えていて、それもなかなかの大音量なので、ちょっと困っています。
まぁ、公園だし、昼間だしいいか・・・と思ってしまう、テキトーな自分がいるんですけれども。
飯はまだか事件
まだ続きます。
以前は「どのくらいが適量か?」と悩んでいましたが、うちの子はどうやら食いしん坊のようです。
保育園の先生からは「気持ちいいくらいよく食べる」「ばっくばっく食べる(「ぱくぱく」でも「ばくばく」でもない、「ばっくばっく」)」「食べることが大好きな~」と毎日連絡帳に書かれていて、初めの頃以外はすべて完食しています。
それはそれで良いことなのですが、最近「飯はまだか」コールが激しいのです。
私がキッチンに立つと「ご飯が出てくる」と思ってワンワン・ヤイヤイ言い出すので、できるだけギリギリまで一緒に遊んでいるのですが、「ハッ、もうすぐご飯の時間じゃん」と気づき始めると、もう大変なことになります。
保育園生活が始まって、生活リズムを調整中ということもあり、「ご飯は30分後ですけど・・・」みたいな時に「早くしろ!(実際にはワーとかアウーとか)」と言い出すこともあります。
そんな、野次を飛ばされながら、こっちも「だーかーらー!今作っているじゃん!」と大声で返しながらご飯を作っている(冷凍ストックをチンしている)のですが、時々ここでもキエエエエイッ!と言い出すので、在宅勤務の夫が「何事だ!?」とやってくることもあります。
自我が目覚めてきているんだな
そんな感じで、子どもの想定通りに物事が進まないと、キーッとなることが増えてきました。
言葉が話せない状態でこれか・・・話せたらもっとキツいんだろうなぁと震える。
いや、むしろ言葉が話せないし、私の「いやいやこれはですね・・・」という説明が通じないからっていうのもあるのかもしれない。
夫に話すと、「自我が芽生えてきているんじゃん、良い事だよ」と一言。
うんうんわかるよ、良い事なんだよね、うん。
でも私も、子どものキエエイに対して深く悩まず、持ち前のスルースキルでついつい受け流してしまっているなと感じることがあります。
それはまだ、イヤイヤ期(序盤)だから耐えられることかもしれないし、イヤイヤ期(本番)はいくら私でもスルーしきれないかもしれない。
そのへんは、わからないな、やってみないと。
「優しい母親でありたい」という願望
以前書いたことがあるけれども、私はたぶん人よりも「優しい母親でありたい」という願望が強くて。
ついでに、毎日母にキーキー言われてきたし兄弟げんかの絶えない家で育ってきたので、誰かがキーキー言っていても、なんとなく引いて見てしまうところがある。
(余談だけど、そういうところがあるから、はあちゅうさんのあれこれに対して怒りをぶつけるよりも、おちょくる方向でアプローチしがちなところもある)
・・・ということがあって、なんとなく今の子どものキィーッについてもスルー出来てしまっているんだよな。
というか、もしもスルー出来なくなったら、自分に対してものすごく罪悪感を持つと思う。
「優しい母親でありたい」というと良い事のように聞こえるけれども、ある面では私の行動を縛り、冷たい視線になるということもあるんだろうな。
こちらもどうぞ(この時はキーがスルー出来なかったらしい)