ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

三つ子の魂、マジで百までなんだよな

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

先日『女帝 小池百合子』を読んで、今は『彼女は頭が悪いから』という実際起こった事件を元にした小説を読んでいるのですが、読みながらこんなことを考えています。

 

「人は、少年少女時代の思いを晴らすために生きているのではないか」と。

 

 

子供時代の憧れと渇望と

小池百合子氏の話だと、きっと何不自由なくキラキラとした学生生活を送っていたであろう、お嬢様学校の同級生を見返してやろうと思って外部受験したり留学したりしたことや、お父さんの後ろから見ていた男同士の権力争いに自分が積極的に関わっていったことなどなど・・・1つのことに対して、「なぜ?」と考えると、「あの時、こういう出来事があったからではないか?」が出てくる。

 

そして、まだ読み途中だけど、『彼女は~』を読んでいると、きっと高校時代に考えたり感じたことがその後に繋がっているのだと思う。

 

すっごく小さい話だけれども、私の母はすぐ「いくら?」って聞く人で、毎朝ヨーグルトを食べているんだけど、小さい頃に「うちはお金がないからヨーグルトなんて買えない」と言われたことをよく覚えているらしい。

きっと、ヨーグルトは小さい頃の思いを晴らすためのアイテムなんだろう・・・なんて思った。

 

私達ぐらいの世代が大人買いするのも、きっと子供の頃に「1つだけしか買っちゃダメ」とか、「そんなもの買いません」とか言われた反動なんだろうなと思う。

 

 

因果を感じるのだ

まぁ、でもこれって普通に考えたら当たり前のことで。

私達人間にとって、過去と現在は地続きで、過去があるから現在があって、現在があるから未来があるわけなのだから。

 

幼い頃に夢見たことを実現させるべく取り組んだことが実を結ぶこともあるし、実を結ばなくても別の形で花開くこともある。

 

当たり前なんだけど、些細なことでも繋がっているんだなと思うと、「因果」を感じてしまうのだ。

 

 

三つ子の魂百までとは良く言ったものだ

そう考えると、私たちは「大人」になっていくけれども、結局本質のところは変わらないんじゃないか?と思う。

「三つ子の魂百まで」とは良く言ったもので、物心のつかないころぐらいから、性格なんてほとんど変わらないし、(多くの人は)18歳くらいまでに育った家のことを大人になっても引きずって生きていくのだ。

「育った家庭」なんて、家族が様々な事情で変化しない限り、1つの家庭しか経験できないし、「家族とは、こういうものだ」と思い込む力はとても強いのだろう。

人はその「自分が育った家族」に対して、「自分が家庭を持つならばこういうことはしない」と強く反抗して違う形の家族を作るか、「自分が家庭を持っても育ったこの家庭と同じでありたい」と思ってコピーを作ろうとするか・・・どちらかになる。

 

そして時には、「自分のような人生を歩ませたくない」と思って、自分の子どもに多くを押し付けてしまう親になってしまう人もいる。

 

その話は、全部繋がっている気がする。

とにかく、「過去」に引っ張られているのだ。

でもそれは、仕方のないことなのかもしれない。

 

 

私は何を求めているのだろうか?

そう考えると、今の私の考え方や悩んでいることも、過去に引きずられているのだろうな、と思う。

私は、自分の母が話し合いができず暴力(または叫ぶ)で子どもをねじ伏せようとしている態度がとても嫌だったし、自分が出来ていないくせに(出来ていないから?)、生活面での注意ばかりしてくるのも嫌だった。 

 

だから、優しい母親でありたいと思うし、カッとなった自分を激しく嫌悪してしまう。

思いやり100%でありたいと何度も何度も書いているけれども、なかなか100%にはなれず悩んでいる。

生活面については、とにかく出来る範囲で楽をしてでも片付けようと奮闘しているが、これも「必死になっている」とすれば、自分の育った家庭への反抗からなのかもしれない。

 

 

きっとこれもループなんだろうな

以前、「田舎暮らしと都会暮らしのループ」というブログで書いたけれども、きっと私が自分のことや自分の家庭に対して思い描くこと、やっていくことはまた「ループ」になっていくんだろうな、と思う。

 

私が過去の経験や思いからある意思をもって作っていくであろう家庭に、私の子が何かを思い、自分の家庭を作るときに何かを目指す。

そしてその子どもも・・・みたいなループ。

 

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きっとそのループは、断ち切ることは不可能なんだろうなと思う。

無意識のうちに染みついている三つ子時代の思いが入り、児童~学生時代の思いが入っているから。

出来ることと言えば、自分の考え方とか希望の根幹にあるものを認識し、理解し、その上で上手くコントロールしながら生きようと試みること。

 

なんだか今日は概念的な話を書いてしまったけれども、言いたいことは、「三つ子の魂、マジで百まで」ということなのです。

昔の人の言うことは、あなどってはいけない。

 

 

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