ドクダミ自由帳

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「誹謗中傷」がわからない

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

日々、ネットでのいざこざを見ているのですが、ふと思ったのです。

 

「誹謗中傷」って何だろう?と。

 

 

鉤カッコ付きの「誹謗中傷」の話です

私が言いたいのは、鈎カッコ「」付きの「誹謗中傷」の話です。

 

ネットの世界では、日々「誹謗中傷ガー!」「法的措置ヲー!」とやっているんですよ。

 

例えば、魅力度ランキングで群馬県が最下位だったというニュースで、県知事が「群馬県民への侮辱だ、法的措置も辞さない」とか発言したら、調査会社は「誹謗中傷だ」と返しちゃったりして。

「魅力度44位」の群馬、知事「法的措置も」 調査会社は反発:朝日新聞デジタル

 

ヤギさんをポイ捨てした国会議員が、なぜか「選挙の道具だと言うのは山羊を誹謗中傷している」なんて言ったり。

仙台メリーさんポイ捨ての件、論点ずらしが本当に腹が立つのよね - ドクダミ自由帳

 

何がどう誹謗中傷なの?と思うような出来事にも「誹謗中傷」ってワードが使われていて、私にはもう「誹謗中傷」がどういう意味で、どのくらい深刻な話なのかが分からなくなっているのです。

 

きのこ・たけのこ戦争で、たけのこ軍が「たけのこは自立するけれども、きのこは立てない」とか言ったら、それはきのこに対しての「誹謗中傷」になるのだろうか?

ペヤングに対して、やきそば弁当が「湯切りしたらスープにならないなんてお湯の無駄遣い」と言ったらそれは「誹謗中傷」になるのだろうか?

今の世の中の流れだと、なりそうな気がする。

・・・と思うくらい、「誹謗中傷」がわからなくなっている。

 

 

悪口を言いたいだけなのでは?

私の誹謗中傷関連のブログにつくコメントの中に、こういった趣旨のものも多くあります。

たとえば、このブログのブックマークコメントとかにある内容だと、こんな感じ。

www.dokudamiyoshiko.com

 

「いくら過去にやらかしたからといって叩いてもいい人だと決めつけるのはおかしい」

「この人は、自分が誹謗中傷をしたいから、それを出来る状況を守りたいだけ」

「とにかく何があっても悪口はダメ、このブログも悪口だからダメ!」

 

私は、私が思う存分書ける環境を守りたいだけ・・・と言われたら、「たしかにそうかもしれませんな」と思う。

「ある本を読んだけれども、全然面白くなかった」「今日こんなモヤモヤする出来事があった」「はあちゅうさんのブログを読んで絶句した」・・・この辺の何もかもが、「誹謗中傷」と言われたら、私はやってらんねー!と思うだろう。

 

ということは、私は「(世間的には、軽口や悪口なども含まれる)誹謗中傷」がしたいのか?

 

 

本人が傷つけば、それは「誹謗中傷」?

そんな私がさらにモヤモヤしたのは、こちら。

 

「※誹謗中傷はいりません」と最初に書かれて投稿された、あるママアカウントのインスタグラム。

そこには、0歳のお子さんが入院したという話が書かれていました。

ざっくり書くと、発熱して病院いったけれども様子見で、熱が下がらなくてもう一度病院に行っても様子見で、おかしいと思って別の病院を受診したら精密検査になり即入院、最初の発熱から5日くらい経っていた・・・という内容でした。

それを読んで、もしかしたら「もっと早く別の病院を受診したらよかったのに」「0歳で発熱はもっと焦ったほうがいい」「入院なんてかわいそう」とか、そういう言葉も、この人にとっては「誹謗中傷」だと感じるのかもしれないな、と思ったのです。

 

もう、セクハラやパワハラなどの「ハラスメント」と同じで、「本人が誹謗中傷だと思ったらそれは誹謗中傷」なのかもしれないな。

・・・というか、世間一般にはすでにそういう認識なのかもしれない。

 

 

「家事は女の仕事」への批判も「誹謗中傷」?

他人への言葉で、受け取った人が傷つけばそれは「誹謗中傷」、「誹謗中傷」はやめるべき・・・となると、誰に対しても何も言えなくなってしまうんじゃないか?と思うのは私だけでしょうか?

 

たとえば、「家事は女の仕事」と発言したクソジジイがいたとします。

彼に対して、「時代錯誤も甚だしい、男女関係なく家事はやるものだ」と返して、彼が傷ついたとしたら・・・それは「誹謗中傷」なのでしょうか?

「そういう考えは、女性と接したことのないモテない男が抱く幻想だよ」に対して傷つく人がいたら?

「偉そうに言っているけれどもそれは思い込み。ちゃんと育児をしてから発言しろよ」に傷つく人がいたら?

 

どんな経緯があろうと、悪口はダメ!絶対!になったら、これは全て「誹謗中傷」になるのでしょう。

 

でも、きっとそうはならないのだろう。

なぜなら、それは「正しいことを言っているだけ」だとみなされるから。

 

受け取る人が悪口だとみなしたら「誹謗中傷」になる、でもその中でも「正しいことを言っているから誹謗中傷ではない」とみなされるものもある・・・そのジャッジは、一体誰が、どうやってしているのだろうか?

なんだかこの一連の線引きが、「多数決で勝った人の感覚が全て正しい」みたいな気がして、気持ち悪くなってくるのだ。

 

 

「毒舌」ができない時代へ

私はどちらかというと、毒舌の部類に入る人間だと思うのですが、今後この「毒舌」というのが、「誹謗中傷」に含まれ、どんどん無くなっていく時代になるんじゃないか・・・なんて思う。

 

今もそうだけれども、「毒舌」で許される人っていうのが、なんとなく範囲が決められて、それ以外の人は当たり障りのない、ほんわかふんわりした発言ばかりするようになる、というのが加速されていくのではないだろうか。

オネエ系の人や、パンツ一丁とかピンク色の髪の毛みたいな、「世間から離れた風貌の人」だけが毒舌を許され、それ以外の人は炎上を恐れた発言しかしなくなる。

 

今まで以上に、「誹謗中傷」かどうかを監視し合うようになり、人々は「それは傷つく人がゼロではない発言だ」「配慮が足りない」と声を掛け合い、自主規制し合う・・・

 

そんな時代がやってきた時、私はどうするのだろうか?

いや、多分変わらず書き続けるんだろうけど、それに対する反応がどうなるのか?

 

ちょっと、寒気がしてくる。

 

 

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