こんにちは、ドクダミ淑子です。
平日日中子どもと2人でダラダラ過ごしている、今日このごろ。
その生活には期限が迫っているのですが、ある時、こんなことをふと思いました。
「子育てだけに集中する生き方だって、あってもいいじゃないか」と。
うちの子はまだ0歳ですから、今はパパとママが100%大好きで、パパとママが生活の全てです。
いずれはそういう時期は過ぎて、「ママじゃなくて○○ちゃん(友達)と遊びたい」とか「誕生日は彼氏に祝ってもらうから、うちではやらない」とか言われるときが来るのでしょうが、あと数年はべったりな時期が続くわけです。
そのべったりな時期を、べったり過ごしていてもいいんじゃないか?と思ったのです。
仕事だけがアイデンティティじゃない
時々、「大人は、外で働くことこそ素晴らしい」みたいな雰囲気を感じることがあります。
専業主婦(夫)というと、なんとなくマイナスのイメージがあったり、「働いていないから」みたいな負い目を感じる人がいたりします。
まぁ、少子高齢化で給料は20年前からほぼ上がっていないとなると、外で働かざるを得ない家庭が多いのでしょうから、そういう雰囲気づくりをしてどんどん働いてもらおうという政策もあるかもしれません。
でも、人のキャパシティってそれぞれバラバラで、仕事も全力でこなしながら家事育児も完璧に出来る人もいれば、そうではない人もいるわけで。
家事育児だけだったらそれなりに出来るけれども、仕事まで入るとキャパオーバーになる人もいるでしょう。
でも、そういう人は「仕事をしていない」と思うのではなく、「家事や育児をしている」人なんだから、それでいいんじゃない?と思う。
もしくは、ある一定時期だけ家事と育児に専念して、少し育児の手がかからなくなったら仕事に戻る・・・昔ながらのM字曲線でも、いいじゃないか。
何が言いたいのかというと、「外に出て仕事をしていない」ということをそんなにマイナスに捉えなくていいじゃないか、という話。
問題は、「女性だけの話」になっていること
ただ、問題なのは、そのM字曲線やら「家事育児に専念」やらは、女性だけを対象とした話になっていることと、「夫と妻の両方がいて、家族仲は円満であること」を前提としているという点なんですよね。
あと、いざ働こうという時に「ブランク」とみなされることも。
周りの専業主婦の友人たちを見ると、全然そんなことないのに、と思う。
育児をしながら、家事スキルを料理やハンドメイドなどに生かす人もいれば、PTAや保護者会やボランティアのような活動に生かす人もいるし、趣味に磨きをかける人もいる。
そしてみんな、とても充実して、楽しそうに見えるし、そこに「スキル」が1つもないかというと、全然そんなことはない。
「他人のために生きる人生」だって、あってもいいじゃないか
私がここ最近ずっと、はあちゅうさんを追いかけているから感じるのかもしれませんが、「子どもとか夫とかを抜きにした、『私』としての人生を大事にしたい」みたいなことばかり言っているのって、果たしてどうなのか?と疑問に思ってしまうのです。
彼女は色々な場面で、「他人に引っ張られない」という意味で「私は私のために私の人生を生きる」とみたいなことを言っているのですが、そういう思考の方が幼いんじゃないかと思ってしまう。
「誰かのために生きる人生」があったっていいじゃないか。
あくまでも、「自分が望むなら」で、望んでいないのに家事ばかりしているのや、家族の介護で人生が終わるとかは、違う話ですが。
逆に「子どもがいても私らしさを大事にして、私の時間を死守して、私のやりたいことを全部やる」みたいに、自分の時間は1秒たりとも子どもには渡さないぞ!ってやっているほうが、幼いしカッコ悪いなと思ってしまう。
・・・今の、ハッピー全開な私は。
自分の時間は100%自分に使いたいなら、そもそも結婚しない・出産しないという選択肢もあるわけで。
ずっと独身だったら、多分既婚や子持ちよりもそういう考え方のままやっていけるはずなのだ。
お金の問題とかを抜きにすれば、「家族のために自分の時間や労力を費やす」っていうのは、人生の選択肢としてはアリだと思う。
・・・そうやって家族のために過ごしてきたことを、誇りに思っていいと思うし、アイデンティティにしていいと思う。
問題は、そこからキャリアチェンジしたい時の話と、あとやっぱり、お金の話なんだよなぁ・・・
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