ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

人生の照準をどこに見据えるかの話

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

最近、「人生におけるゴールとは何か?」ということを考えています。

ゴールというか、照準というか、見据えるものというか。

 

なぜそんなことを考え始めたかというと、『女帝 小池百合子』を読んでいるからでしょうか。

 

まだ途中で、国会議員になったばかりくらいのところなんだけど、その前の少女時代~大学生~ニュースキャスターくらいのところまでを読みながら、「この人は一体何を目指して、こんな行き当たりばったりでとんでもない事ばかりしているのだろうか?」などと考えていました。

 

この人は、一体何を目指しているのだろう?

何が出来たらゴールで、満足するのだろうか?

 

 

大きな野心を抱いて突き進む人と

ふと、この世の人間は、2つのタイプに分かれているのではないか?と思ったのです。

 

大きな野心を抱いて上を目指し続ける人と、小さな幸せを積み重ねることで満足できる人との、2つのタイプ。

小池氏なんかは前者タイプで、とにかく「上へ、上へ」と目指すタイプ。

そして、多くの人は後者で、「上へ、上へ」と思うこともあるけれども、どこかで「私はここでいいや」と歩みを止めて、その場所で満足し、幸せをかみしめる。

時間が経って物足りなくなったら、また「もう少し上に行こうかな」と歩みを再開して、ある程度上に行ったら、またそこに留まる。

 

前者の、「大きな野心を抱いて突き進む」には、限界はないし終わりもない。

ひたすら、「今いる場所では満足できない」を繰り返し、上に行くための行動を取る。

だから、生きている限り、ゴールなんてないし、野心は尽きることはない。

 

別に、小さな幸せで満足できる人だって、ゴールしているわけではないんだけど。

 

 

二兎は追えないから

そして、この「大きな野心」「小さな幸せ」は、基本的にはどちらかを選ばなけれないけない。

2つとも選ぶこともできるんだけれども、それを実現できる時点で超人だと思う。

だから、大半の人はどちらかを選び、その道を突き進むことになる。

 

選んだ道によって、満足するポイントは違うから、お互いの「ゴール」は相容れない。

大きな野心を持って上へ上へと突き進む人は、家族の成長などと言った「小さな幸せ」には満足できないし、そんなことを自慢されても何とも思わないだろう。

逆も然りで、誰かを蹴落として上に上がったことを自慢されても、同僚と力を合わせて仕事をやりきることを大切にしている人は、「ひどいことをするなぁ」という感想しか出てこないかもしれない。

 

でもそれは、見ているもの、目指しているものが違うんだから、仕方がないと思う。

 

 

隣の芝生は青いから

2つのタイプは、それぞれの道があり、それぞれ重視しているポイントが違うんだけど、「上へ上へ」というタイプの人だって、何かのきっかけで家族や自分自身の生活の充実といった「小さな幸せ」に目覚めることもある。

 

 

また、「小さな幸せタイプ」であっても、あるタイミングで大きな野心を抱いてそれに向かって突き進む時期だって出てくるかもしれない。

時々、「専業主婦が○歳から会社社長へ!」みたいな記事を見かけるけれども、そういう人の例だなと思う。

 

人生の段階において、どこを目指すのか、どこまでで満足とするのか?は異なる。

 

 

大きな野心と小さな野心

最初の小池百合子さんの例に戻ると、彼女は常に「大きな野心」を持ち続け、それを実現させるために動く。

そこが全然ブレない。

だから、政党を渡り歩きながら、そばに寄り添う政治家を変えながら、主張する政策を変えながら(というか主張などなさそう)、それでも「私のゴール」みたいなものは常に見据えている・・・ように見える。

 

この人の精神的な「強さ」はここにあるんだなと思った。

 

私が最近ウォッチしている彼女なんかは、本人がまさに「小さな野心」なんて言っているんだけど、その内容は「今年はピンクのバッグを買う」「今月の野心は友人に会う」程度の、「・・・野心?」な内容で、それも方向性がバラバラ。

先ほど書いた「大きな野心/小さな幸せ」で言うと、「上へ上へと目指しながら、それが上手く行かなくなると、小さな幸せ最高みたいに言い出す」という両刀使いで、結局どちらの道にも行けずに右往左往しているように見える。

 

それが不幸なのか?と言ったら、別にそんなこともないと思うけど、どっちも目指していると、まさに「二兎を追うものは・・・」になりそうな気もする。

 

 

私は、小さな幸せを積み重ねていきたい派

私自身はどうかというと、「小さな幸せを積み重ねる派」だから、小池百合子さんの描く人生のゴールみたいなものは、きっと十分には理解できないと思う。

 

※もう一度書くけれども、まだ『女帝 小池百合子』は読み途中。

 

でも、理解できないからこそ、気になってしまうのだ。

 

 

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