こんにちは、ドクダミ淑子です。
先日、ニトリでお皿を買いました。
3つに仕切ってある、ランチプレートを。
お皿洗いはほぼ食洗機を使っているものの、自分1人しか食べない朝食なんかはササっと洗ってしまった方が早かったりする。
でも、パン皿、サラダボール、ゆで卵用の器などなどを使っていると、洗うのが面倒臭くなる・・・ので、仕切りがついたものを買いました。
これで洗うのが1枚で済むぜ!
段ボールから開封していると、在宅勤務の夫が気づいて「何買ったの?」とやってきました。
「お皿買った、皿洗いの手間を減らそうと思って」
すると夫は、「いいんじゃない」と言いながら、子どもの方を向いて、満面の笑みでこう言いました。
「よかったね、これでママと遊ぶ時間が増えたね!」
夫の一言で私は嬉しくなった
この言葉を聞いて、私はとても嬉しくなりました。
何が嬉しかったかというと、夫の子どもへの関心の高さというか、愛情の深さというか・・・
夫自身が1秒でも子どもと接する時間を作ろうとしているから、きっと皿の話でパパッとこのセリフが出てきたんだろうなと思ったからです。
食器を手で洗うのなんて1日1回くらいだし、皿3枚を洗うのと1枚を洗うのなんて大した差はないんだけど。
夫が協力的だから、この言葉に喜べるのかもしれない
ただ、この言葉をよくよく考えると、時と場合によっては「モラハラ夫」「ダメ夫」とかの扱いになるのかもしれないなぁとも思ったのです。
「皿洗いくらい、夫がやってくれればいいのに」「子どもと遊ぶ時間を増やす?1秒でも早く寝るわ」と思うママもいる気がして。
夫が協力的だし、子どもへの愛情を日々感じているからこそ、嬉しく思えるのかもしれません。
一人の女性として大切にされたい欲がないんだよな
子どもが生まれて、夫の脳内は、子どもを中心に回っているようです。
それを私はとても喜ばしいことだと思っている。
正直な話、じゃあ妻であり母である私は大事ではないのか?と言うと、「子どもを一緒に育てるパートナーとして大事」って扱いな気がするな。
そのくらい、「子ども第一!」って感じになっている。
少し前に誕生日プレゼントで、エルゴよりも簡単に装着できる抱っこ紐をもらったんだけど、それも「ママの腰の負担をなくして、子どもをたくさん抱っこできるように」という理由だった。
私への思いやり半分、子どもの快適さ半分・・・なプレゼントだ。
たまに「ママじゃなくて一人の女性として大切にしてほしい」「子どもがいても月に1回は子どもを置いてデートしたい」という感じの言葉を見かけることがあるんだけれども、私にはそういう欲はあまり存在しない気がする。
別に、2人だけのデートなんて今のところ全く必要性を感じない。
外出は(まだ行っていないけれども)ファミレスで十分だし、公園でピクニックで十分。
だから、「子ども第一!」な夫との相性は、結構よいなと思う。
今日も我が家は、子ども中心
そんなこんなで、関心のベクトルが父母どちらも子どもへ向きまくっている我が家。
当たり前っちゃ当たり前なんだけど、親になるってこういうことなんだな・・・と改めて思うのです。
子どもの頃は、子どもの部屋はあるのにママの部屋がないことや、自分は友達と毎日遊んでいるけれどもママはママの友達とあまり会わないことなどが不思議だったけれども、いざ親になってみたら、「それでも全然平気っす」なんだよな。
これも、十分遊んで1人の時間を過ごしてきたし、復職する気だから言えることなのかもしれないけれども、今の乳児を抱える私の頭の中は、子どものことで大半を占めているのです。
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