こんにちは、ドクダミ淑子です。
はあちゅうさんのこのブログ、色々な人が指摘しているのを見ました。
息子が昨日、お風呂に入る前に
わがままを言ったので、
軽くたしなめると、
もうママのところにサンタさん来ないからね!!!
ママは悪い子だから!!!!!
ってキレてて、面白すぎました。
【育児】胸キュンした発言 | はあちゅうオフィシャルブログ「お買い物日記」Powered by Ameba
私もやっぱり、嫌な気持ちになりました。
「私がいないと何も出来ないくせに」って
私が嫌な気持ちになったのは、彼女の息子さんに対する考えが、こういう言葉ににじみ出てしまっているのを感じたからです。
それは、「私がいないと何も出来ないくせに」って考え。
彼女はその昔に「私に人生丸投げの息子」みたいな発言をしたりしていました。
私は、#はあちゅう さんを買いかぶっていたかもしれません。良き母でありたい人は、「私に人生丸投げの息子(3歳)」なんて言いませんね…
— ドクダミ淑子🐤 (@dokudamiyoshiko) 2022年10月25日
愛情を持った表現だと思いたいけど、言葉の端々から「私より下の存在」「私がいなければ生きていけないんだろ?」「世話される立場」というものを感じてしまう。 https://t.co/lEu78OQUhC pic.twitter.com/dKZfvqN5He
これも、「私がいないと何も出来ないくせに」と同種類の言葉だと思っていて。
とにかく、自分が子供より上位にいて、彼の人生の全てを握っている・・・のにも関わらず、それを理解できずに反抗してきてるんですよ、かわいいでしょ?みたいに書いているように読んでしまう。
それは私の見方が歪んでいるだけなのかもしれないけれども。
ちなみに、こんなことも言われています。
ちょっとしたことで
ママにキレて、
「もうママ、お誕生日会に呼んであげないからね!!」
「一人でじろじろ見てればいいしね!!!」
って言ってた
おもしろすぎ。
ママいなかったら誕生日会企画する人いないのに!
4歳児からの脅し | はあちゅうオフィシャルブログ「お買い物日記」Powered by Ameba
・・・って、この手の「もう、〇〇してあげないからね!」ってセリフ、多くない?
5ギブ1テイクの提唱者なだけあって、普段から息子さんにもギブ&テイクを要求しているのかもしれません。
自分がクソ親になってる自覚ある?
子どもの側からすれば、「私がいないと何も出来ないわよ?」「お金だって私が稼いでいるんだからね」みたいな親なんて、クソ親だなって思いませんか?
お父様に「80万円するエレクトーン買ったのにすぐ辞めた」と言われた時、どういう気持ちでしたか?
今もすぐにお金の話するけど、お母様やお父様がそういう風にいつも値段の話していたんじゃないですか?子供心にどう受け止めていましたか?
そして、同じことを自分の息子さんにしていませんか?
そのうち、習い事や学費に対して「費用対効果」で語る親になりませんか?
・・・他人事ながら心配になってきます、息子さんのことが。
こんなこと書いているけど、公文は「私の負担が大きい」という理由で断念したりしてるしな。
はあちゅうさん「子どもには失敗する権利がある。体験が宝物になる可能性を奪いたくない」|暮らしニスタ
放置されて悲しかった人が親になると
この、「親の嫌なところがいつの間にか自分に染み付いている」っていうのは、誰しもに起こりうる現象だと思っている。
だって、自分が育てられたこと、かけられた言葉が「標準」になるんだもの。
その標準から離れたことをしようとするためには、「それ」が間違っていると強く意識することと、多大な努力が必要になってくる。
はあちゅうさんを例に挙げると、彼女は「両親の仲が悪く家の雰囲気が悪いのが嫌」みたいなことを語っていました。
そして子どもを持った今、彼女がしているのは、「息子と一緒に楽しい家庭にする!」ではなく、夜のお出かけやら1人ドバイ旅なんやらで(子育てで苦労していたと知っている)自分の母に預けて遊びに行き、「息子には、楽しんできてね~と言ってもらってます(キリッ」なんですよね。
息子さんのこと、小さい時の自分のように寂しい気持ちにさせてない?って思うんだけど、そうすることで幼い頃の自分の悲しさを誰かに転嫁させて、自分の気持ちを晴らしているんじゃないか・・・なんて考えてしまう。
寂しい思い連鎖を断ち切るのではなく、続けてしまっているように、私には見えるな。
その上で「私がいないと何も出来ないくせに」ですからね。
私の想像通りだとしたら・・・息子さんがかわいそうだな。
「対等」を間違えずに
とはいえ、「子どもと対等な関係を」っていうのは、とても難しい。
自分のお腹から出てきて、新生児の何も出来ない時期からずっと見ていると、いつまでも赤ちゃんみたいな気持ちになることもある。
でも、その中でもきちんと境界線を引いて、自分と子どもは上下関係でもなく、小さい時の自分でもなく、ましてや「俺がいないと何も出来ないだろ?」という対象でもなく、「たまたま生まれた時期が遅く、生まれた場所が自分の腹からだった」と思えるようにならなければならない。
お金を稼ぐ力がないのは、年齢的に当たり前だし、そういう状態の人間を養う覚悟を持って生んだんだろ?と思う。
そして、幼い頃の自分もそうやってお金をかけて育ててきてもらったことも忘れてはいけない。
そんなこんなで、彼女の言葉は時々「傲慢だな」と思う。
そんな小さな子どもにマウンティングするなんて、普段どれだけ「下に見られる」ことで辛い思いをしているんだろう・・・と思う。
今回の話は、多少私の妄想も含まれているけれども、こういう例を考えると、自分の子どもに対する接し方を改めて考えるいい機会になるなと思う。
子どもは自分の所有物でもアクセサリーでも肩書きの材料でもない。
下に見て優越感にひたる対象でもないし、幼い頃の自分を慰めるためのサンドバッグでもない。
小さい頃は無条件に親を愛してくれているかもしれないけど、そこに甘えてはいけない。
お互い信頼し合える「相棒」になるように、親の側が日々努力をしていかないとな・・・と思ったのでした。
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