こんにちは、ドクダミ淑子です。
日々、思考回路を「いないいないばあっ!」と「おかあさんといっしょ」(NHK Eテレの幼児向け番組)に浸食され・・・いや、いい影響を受けている、と感じています。
今回は、「いないいないばぁっ!」の「だいじょうぶんぶん」のお話でもしましょうか。
だいじょぶ、だいじょぶ、だいじょうぶんぶん
「だいじょうぶんぶん」は、うーたん(頭にマラカスをつけた喋り方が赤ちゃんのような妖精)が、一生懸命積み上げてきた積み木を、「つみき、ガシャーン!うえーん」と泣くところから始まります。
いつもは丸い目のうーたんが、突然「><」の目になるのがかわいいなぁ・・・と思って見ていると、それを慰めるキャラが次々出てきます。
「頑張ったんだね、悔しかったね、悲しい気持ちになっちゃったんだね・・・」と歌いながら、まずは気持ちに共感。
そして「今度はきっと上手くいくよ~」と元気づけたら・・・タ・タ・タタタン!!
「だいじょぶ、だいじょぶ、だいじょうぶんぶん、だいじょうぶんぶん、ぶんぶんぶん♪」と突然応援団さながらの太鼓の音とともに、雨の日に建物に入る時に傘を入れるあの細長いビニール袋のようなものが、ブワアアアッ!と膨らみ、もはやフィーバー状態。
・・・というのが、積み木崩し以外にも、転んで毛虫に刺された、眠いけれども寝たくなくてグズグズの時に発動される、という歌です。
特に最後の「眠くな~い!」の時に、なぜフィーバー状態にするのだろうか?というツッコミは、様々なパパママの間でされているでしょう。
でも、うーたんは最終的に「だいじょうぶんぶん・・・」とむにゃむにゃ寝てしまうので、きっと結果オーライなのです。
我が家でも、なぜか夫が寝る直前のおしゃべりタイムに子どもを大興奮させることがあり、私は半ギレですが、30分後くらいには寝るので結果オーライということにしています。
この歌がですね、結構頭の中に残るのです。
そして、ある時ふと「だいじょうぶんぶん♪」と出てくる。
「あー今日は洗濯さぼっちゃおうかなぁ・・・」という時や、肘をどこかの角に思いっきりぶつけた時や、子どもが離乳食を食べたくないとベェーっとした時などなど。
そうだな、だいじょうぶんぶん、だいじょうぶ!
なんか、心が広くなれる気がする。
優しい世界とは、どうやったらできるのか?
「いないいないばぁっ!」を見ていると、「ああ、優しい世界ってこれだな」と思う。
どんなキャラもそれぞれの長所を生かし、短所は補い合い、トラブルは話し合い、ちょっとの失敗は笑って流す世界。
そんな世界を見ると、「優しい世界」を提唱する大人たちの優しくなさについて考えてしまうのです。
特にネット上で、「優しい世界」を訴える人って、全然優しくないんですよね。
「優しく話していたから、今のような世の中になっているのだ。だから怒りをあらわにし、声を荒げて戦うのだ」と言っているのだけれども、だからといって怒ったからと言って優しい世界が出来上がるとは思わない。
結局、「これこれはおかしい!」「それを言うならあれだっておかしいじゃないか!」と水掛け論になってしまうし、怒っている=怖いで話し合いのフィールドに乗らない状態になっていることもある。
普段、クレバーな文章を書く人だって、突然怒りで頭がパニックになって支離滅裂なことを言い出すこともある。
そのくらい、怒りに任せてものを言うことのほうが、よくないと思うのだ。
「多様性を認めろ」と言いながら、同時に「これは滅びるべき!」と言っている人たちは、本当に優しい世界を作ろうとしているのか?
いないいないばぁ!の中の世界、どんな人も受け入れて笑ってその上で説得して行動に移してもらう・・・の方がよっぽど優しい世界なんじゃないか?
罵り合いではなく、話し合いができるように
特に育児に専念している今、ネットの中での罵り(ののしり)合いを見ていると、胸やけがしてしまう。
これが本当に、優しい世界を作る手段なのだろうか?
話が通じない人もいるかもしれないけれども、色々な問題について、話し合いでどうにか前進できないのだろうか?と思うのだ。
こちらもどうぞ