こんにちは、ドクダミ淑子です。
私は夫のことが大好きなのですが、現在のところ、1つだけ相容れない点があります。
それは、LGBTの話です。
夫は、CMで男性同士の恋愛映画や恋愛ドラマのダイジェスト映像が流れると、必ずこう言うんですね。
「変態だ!」と。
もちろん、外ではそんな言い方はしません、家庭で、私の前だからこういう言い方をするのです。
私はその度に、「あのねぇ、世の中には色々な人がいてね・・・」とか、「だいたいクラスに1人くらいは異性を好きにならない人もいるんだよ」と話すのですが、聞く耳持たず。
そんな時、私は少し悩むのです。
これは、自分の子にも同じこと言うだろうなぁ、どうしようかな・・・と。
これも1つの多様性
私がどうにか夫を説得して、「世の中色々な人がいる」「LGBTを差別するな」などと言うこともできるかもしれません。
何度も何度も話し合いをして、子にどうやって伝えるかを決めて、それ以外を言わせないなどなど・・・
でも、そうやって、私の意見を押し付けることが、「多様性」なのだろうか?とも思うんですよね。
LGBTに理解がゼロの夫がいて、理解しようと努めている私がいて、そしてまた別に当事者の人がいる・・・それこそが多様性なんじゃないのか?とも思う。
それは、昔この話でも思ったな。
「女が家庭を守るべき」と言う意見も、多様性の一つではあるんですよね。
別にそういう考えの人が存在することは、悪いことではない。
その考えを押し付ける人がいることは、良いことではないんだけどね。
そして、主婦も主夫も、ワーママもワーパパも、どっちもいても良い。
「多様性」と語るなら、その多様性のもとでは「間違った意見」というのは存在しないのです。
全ての意見が並列で存在し、正解もなければ不正解もない。
全部が全部、「まぁそういう考えの人もいるよね」で終わるのが多様性だと思うのです。
子どもが考える「余地」があればよい
「多様性」を語るなら、他の意見を「間違い」とは言えない。
そう考えた時に、最近のフェミニズムに疑問を持つのです。
従来の、ステレオタイプな女性像/男性像に疑問を呈したいのは、わかる。
でも、だからといって「女性が子供を産んで育てるのはおかしい!男性が育てるべき!」「女性が痴漢されるのをなくしたいから、男性器を切除しろ!」くらいになっているのは、またおかしい話なんですよね。
なぜそんな、一方的かつ独善的な意見が「正しい」と思ってしまうのか・・・そこに議論の余地はないのか・・・と思う。
だから、最初の話については、我が家においては、お父さんはLGBTに全く理解がなく知識もない、お母さんは多少理解も知識もあるという状態で、子どもは両方の意見を聞いて、自分でどういう意見を持つかを考えてほしいと思う。
それこそが、多様性なんだおろうな・・・と改めて思いました。
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