こんにちは、ドクダミ淑子です。
今回は、ある日ブログにいただいたコメントを読んで考えたことを、まとめてみようかな。
相手の立場に立つことの難しさ
よく、「 相手の立場に立って」 って言うじゃないですか?
相手の立場や気持ちを考えて発言しましょうって。
これってなかなか難しいことだと思うんですよ。
相手の立場を考えるけれども、それは本当に「相手の立場に立って」いるのかどうか?と聞かれれば、それはわからないわけで。
「自分が想定する相手の立場」っていうのが合っているかどうかなんて、相手に聞かないとわからないし、想像力や状況理解が足らなくて相手の立場に立ちきれないとか、立ち位置を間違えて認識しているということもあるんですよね。
だから、完全に相手の立場に立っているかというと、「努力はしているけれども、出来ているかどうかは本人に聞かないとわかりません」となるのです。
逆に「私は100%相手の立場に立って発言できています!」っていう人は、その自信はどこから来ているんだ?間違っているのを思い込んでいないか?って思う。
とはいえ、「相手の立場なんて考えても無駄無駄!私は私の言いたいことを言う!」っていうのもまたアカン話で。
「私は私の言いたい事を言うから、他人が傷つこうが関係ない!」ってなると、無神経だなと思う。
最後の最後、送信ボタンを押すまで、「これを読んで○○の人は不快に思わないかどうか?」と考えて、「私の勝手でしょ!」という放棄はしてはいけない。
最大限に努力はするべき、でも100%出来ているかはわならないし、きっと100%相手の立場に立つのは無理ということも同時に考えておかなければいけない・・・私が言いたいのはそういうことです。
クソポジティブの目線
私は(これまでの人生では色々ありましたが)今現在でいうと、お金にも困っていないし、仕事も(育休中だけど)楽しいし、 家族も仲良しだし、幸福度は高めなんですね。
そして(いろいろあった結果)、楽観的な性格でクソポジティブなので、仮に今よりも状況が悪化しても、たぶん「なんとかなる」って言いながら幸福度は高めで生きていけると思う。
仮に私にお金がなかったとしても、「お金がない」「将来が不安だ」とか、他のお金に余裕がある人に対して「こいつはお金があるからそんなことを言えるのだ(私は無理)」とか言っているかというと、言わないと思います。
「お金がない」って言ったら本当になくなるし、「将来が不安だ」って言ったらさらに不安になるから。
心配しても仕方がない、どうしようもないことは「しょうがない」で済ませるから。
お金がないないって言う人は、「お金に呪われている」と思っているから、 私は言わないな。
「お金がない」って状態は変わらなくても、それを声に出すことで現実味を帯びてくるというか、言霊みたいなもの?は、ちょっと信じています。
カネカネうるさい人は親族家族にいたから、そこは真似したくないというのもあるかもしれない。
それも「あなたは強い心で無神経だからそうなんだ」と言われたら、もう「そうですね」しか言えない。
私は、「私の気持ち」を書くのだ
そんなこんなで、クソポジティブな私が、クソポジティブ思考で、自分の立場から、他の人の立場も考えながら、自分の考えを書くのがこのブログなのです。
それを読む人は、「こんなクソポジティブに考えられない」「強者の思考だ」「私はこの人の考え方にはついていけない」と思うかもしれない。
でも、そうやって考え過ぎると、クソポジティブな人・恵まれている人・幸福度高い人が何も書いてはいけないとなってしまう。
じゃあ、私はどうすればいいのだろうか・・・?
クソポジティブな私は、何も発言してはいけないのか?
・・・これが、最近コメントいただいた内容に対しての答えになります。
「私は確かに平均以上の暮らしをしているかもしれません。その立場から私は思っていることを発信させていただいております。もし、気遣いが足りないと思ったことがあれば、お手数ですがご指摘ください」
結局、これと同じ内容になってしまうな。
フィクションの基準を「不幸な人」に寄せるのではなく、幸せなフィクションを向いて、そちらに現実をよせて行こうよ・・・と思うし、私はそういう考えで、これからも書いていく予定です。
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