こんにちは、ドクダミ淑子です。
どこかでこんな文章を読みました。
「赤ちゃんがママのおっぱいを吸う力は、シェイクを吸う力と同じくらい」
私はそれを読んだ日から、シェイクのことばかり考えています。
たしかにシェイクなのだが
赤ちゃんの吸う力は日に日に強くなっていて 、4ヶ月を過ぎた時ぐらいから吸うときに音が聞こえるようになりました。
スースーと言うかズズズズと言うか・・・そう、まさに「シェイクをすする時のあの音」なのです。
大きな音がたつわけではないけれども、あの「確かに吸ってるぜェ」という静かな音・・・あれが私の胸元から聞こえてくるのです。
私はシェイク、私はストロー・・・なんてことを考えてしまいます。
わかりやすい例って必要なのかね?
こういうのって物事をわかりやすく伝える例えの一種で、テニスコート何面分とか東京ドーム何個分とか、想像しづらいことを身近なものに例えて伝えるためにやっているんですよね。
まあそれはありだと思います。
ただ、いつも疑問なのは「東京ドーム何個分」という例え。
果たして、日本中で東京ドームに行ったことがあって、「東京ドーム10個分です」と言われた時に、「ああ、このくらいの広さね」と分かる人はどのくらいいるのだろうか?
私は東京ドームに行ったことはありますが、何個分と言われても正直ピンと来ません。
じゃあ何を例えに使えばいいのかと言うと、テニスコートとかもう少し身近なものを使えばいいと思うし、むしろ縦500m横300mといった実数で言った方が伝わりやすいんじゃないかなと思います。
東京ドーム何個分の?
話それるけど、その昔、ある会議で知らないおばちゃん(多分どこかの会社の取締役)が、「もっとわかりやすく伝えてください。例えば『東京ドーム何個分のバス』とか!」と要望を出していて、「そこはバス何台でよくない?」って思ったことがある。
やっぱり、なんでもかんでも、東京ドームで例えないでほしい。
シェイクのイメージが変わってしまった
さて、シェイクの話に戻って。
こういう例え話を聞くと、シェイクのことを考えると同時にパイ吸い力のことが出てきてしまうようになるのです。
誰かが「シェイク、うまい」なんてことを言ったり書いたりしようものなら、「ああ、おっぱい吸う力でシェイク吸ってんのか・・・」と連想してしまう。
ああ、なぜ「シェイクを吸う力」なんて例えを知ってしまったのだろう。
「シェイクを吸う力」と最初に例えた人の頭を昔のクレヨンしんちゃんみたいにグリグリしたい。
「お前は、今後のことも考えてその例えを出すのか?それとも今だけ伝わればいいと思って使っているのか?ああん?」って詰め寄りたい。
そのくらい、がっちりインプットされてしまった。
そういう意味では、「スマホはウンコと同じくらい雑菌がついていて汚い」って言った奴も同罪。
私の中ではスマホ=ウンコになってしまっていて、これもちょっと困っている。
例えを出す責任の重さ
何かを例えるのに、他の何かに置き換えようとした時、ぜひ考えてほしい。
それは、本当にわかりやすい例えなのか?
それは、他の何かのイメージダウンにつながらないか?
安易な気持ちで「東京ドーム何個分のバス」とか言わないでほしい。
私のように何年もそれを無駄に覚えていて、無駄に思い出す輩がいるのだから。
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