ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「逃げ恥」は恵まれ過ぎているのだろうか?

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

1月2日に、『逃げるは恥だが役に立つ』ガンバレ人類!新春スペシャル!! が放送されましたね。

私は録画で翌朝に見ました。

ちょうど、妊娠~出産~育児という、我が家ではタイムリーなネタということもあって、時には「そうだよね」とつぶやきながら、時には目をうるうるさせながら・・・夫婦+子どもで楽しく見ました。

 

そんな中、「逃げ恥は恵まれている」という趣旨のツイートが流れてきました。

 

 

逃げ恥は恵まれている?

逃げ恥が恵まれていると言われていたのは、だいたいこんなところ。

 

  • 男性で1ヶ月の育休が取れる
  • 津崎さんの年収が高い(これは元々)
  • 家事や育児をする男性
  • 疎開することのできる、頼れる実家がある
  • 助けてくれる人(やっさん、百合ちゃん)がいる
  • リモートワークができる職場

 

あとは、「そもそも逃げ恥は、仕事がない・実家は頼れないというところから始まったのに、今回は仕事をしているし、実家を頼っているし、家事は分担しているし・・・」という意見もありましたね。

たしかにそれは、その通りだ。

 

でも、私は「この環境は恵まれているから、面白くない」「現実と違うから、見ていてつらい」というご意見には、反論をしたいのです。

 

 

見ていてつらくないドラマ作り?

「この環境は恵まれているから、面白くない」「現実と違うから、見ていてつらい」という方に対しては、どうしても思ってしまうのです。

 

「じゃあ、見なければよくない?」と。

 

そもそも、ドラマなんですよ。

フィクション。

 

確かに、社会問題やジェンダーについて、普段感じるようなモヤモヤを言語化している作品なので、現実に近いようなものを感じるかもしれません。

でも、あくまでもフィクション。

これを見ながら、「自分の生活が不安でたまらなくて、ドラマなんて見ていられない」と思う人は、むしろ見ない方が心の健康のためには良いのではないでしょうか?

 

じゃあ、逆に言うと「ザ・ノンフィクション」みたいな作品になれば、満足なのか?

みくりが妊娠して、職場の女性から「順番をやぶった」と嫌がらせに遭い、同じ課の上長からも責められ、なんだかんだで実質クビになり、平匡さんも緊急事態宣言で仕事がなくなり、あの広い部屋を借りるだけのお金がなくなり、実家は頼れず狭いアパートの一室で、赤ちゃん含めた家族3人で暮らすことになり、みくりと平匡さんはケンカばかり、友達との連絡も取れず、みくりは産後うつを発症し、平匡さんもそれに引っ張られて沈んでいき、そのうちに貯金が底をつき、ある日とうとうキャッシングに・・・

 

いきてーーーーく いーきーてーいくー♪

 

私は、そっちの方が「リアル」かもしれないけれども、見ていてつらい。

ドラマなんだから、ハッピーエンドであってほしいし、脚色してほしい。

『この恋あたためますか?』とか、コンビニ店員が商品開発に関わるところから現実感少なめですが、社長が失脚して店舗でバイトするとか、リアリティなさ過ぎなんですけど!

 

幸福な人も、不幸な人もいる中で、何もかも、不幸な人に配慮して、不幸な人の立場に立って、不幸な人が傷つかないように発言し作品を作って・・・っていうのは、本当にそれでいいのか?と思ってしまいます。

 

 

「真ん中」がズレてきている

・・・と、私は思っていたのですが、もう1つ、別の考えも浮かんできました。

「もしかしたら、コロナの影響もあって、日本人の平均が、『不幸』の側に寄ってきているのかもしれない、と。

だから、ハッピーな展開の逃げ恥に対して、「ズレ」を感じる人が増えているのかもしれません。

 

その昔、教育実習で母校の公立中学校に行ったとき、授業を組み立てて行く際に、指導教官から「真ん中に合わせた難易度の授業を作りなさい」と言われたんですね。

上位層に合わせてしまうと、中位~下位の子がおいていかれる、下位層に合わせると、上位~中位の子が学ぶことが少なくなる・・・だから真ん中の子に合わせて、上位は少し物足りない、下位は少しわからない程度に設定するのがよい、という話です。

 

そういう感じで、ドラマって「真ん中」に合わせて作るとヒットすると思うんですけど、コロナのこともあって、この「真ん中」というのが少しズレているのかもしれない・・・

 

もしもそれが正しいとすると、なんだか切ないな。

 

 

自分の立ち位置が「普通」と思わない

もしかしたら、日本の平均が、1年間で少し不幸にズレているのかもしれない。

でも、私は「みんなで不幸になろうぜ」的な発想があるとしたら、それには異を唱えたい。

 

「私の職場では、男性の育休なんて取れないのが当たり前」

「リモートワークなんて、無理ですけど」

「実家が頼れない人の気持ちにもなってほしい」

こんな意見があるかもしれないけれども、そういう現実にフィクションの方を引っ張って合わせる必要はないと思うんですよね。

 

むしろ、フィクションの方に現実を合わせて行きたくないですか?

 

「男性の育休も、さも当然」

「リモートワークができる方法も、実施している会社もある」

「実家が頼れなくても、こういうサポートが使える」

 

「現実はこうも上手くいかない」じゃなくて、出来る方法を考えて、みんなで前に進んでいく・・・

2021年はこういう年になってほしいなぁと、逃げ恥を見て、そして色々な意見を見て、思いました。

 

 

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