こんにちは、ドクダミ淑子です。
先日、こちらの本を読みました。
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帯にはこんなコメントが付いています。
「思っていた未来とは違うけど これはこれで、いい感じ。」
どんな内容なの?
公式サイトによると、こんな内容です。
年齢を重ねただけで、誰もがしなやかな大人の女になれるわけじゃない。思ってた未来とは違うけど、これはこれで、いい感じ。「私の私による私のためのオバさん宣言」「ありもの恨み」……疲れた心にじんわりしみるエッセイ66篇。
ジェーン・スーさんの『婦人公論』と『日本経済新聞』に連載されていたエッセイをまとめたものです。
女の人生から、恋愛と結婚を引いて残るものは
ジェーン・スーさんといえば、『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』などで、アラサー・アラフォーの恋愛や結婚などの問題をバッサバッサと斬っていたイメージがありました。
その後の、『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』でも、赤い口紅をはじめとした「女子としての戦闘アイテム」を付けたりやめたり、他人の目を気にしたりしなかったり・・・と言う葛藤が見られていました。
でも、今回のエッセイを読んで感じたのは、そういう「見映え」「見栄」「他人の目」みたいなのからは完全にふっきれていた、ジェーン・スーさんの姿だった。
ついでに、「恋愛」「結婚」とか、そういう「女としての人生、どうするよ問題」についても一切触れていない(これは連載している雑誌のテイストに合わせているからかもしれないけど)。
あるのは、「私と、私の周りの女性はこういう人生を歩んできたよ」という結果論だけだし、そういう話題も、以前のエッセイに比べて、とても少ないように感じた。
女の人生から、「恋愛」「結婚」を引いたら・・・引いても人生は続く。
仕事があるし、旅行や趣味の話は尽きないし、家族の問題も続くし、女友達とのあれこれも続くし、パートナー氏との共同生活も続く。
別にいつまでも、恋だの愛だの惚れた腫れただのと言っていなくても、全く問題ないのだ。
私の私による私のためのオバさん宣言
そんなことを強く感じさせるのが、「私の私による私のためのオバさん宣言」。
「私がオバさんを自覚したのはいつのことだろうか?」と自問自答して、十代最後の時に二十代をオバさんだと思ったこと、三十代でオバさんを自称する人/オバさんを全力で拒絶する人が出てきて、45歳になった今「自他ともに認めるオバさんになった」ことへの安心感について・・・
真のオバさんには「私、オバさんだから」というオールエリアパスが発行される。この呪文を唱えれば、相手はたいてい「ならば仕方がない」と引き下がる。今までは偽オバさんだったから、世間がそれを許さなかった。
知ったかぶりもしなくてよい。だって、オバさんだもの。知らなくて当然でしょう?首からオールエリアパスをぶら下げ、世間のオバさんイメージを逆手にとって、じゃんじゃんいろんなことをしてみようと思う。
まだあとその境地になるには10年かかるけど、なんとなくわかる気がする。
「恋愛」「結婚」も選択肢の1つなのよね
改めて思うんだけど、今の時代って、恋愛も結婚も、沢山の「すること」「できること」のうちの1つに過ぎないんですよね。
だから、何歳になっても恋愛していたい人は、恋愛し続けていればいいし、独身でも恋愛したくない人はしなくてもいいし。
結婚も同様。
ジェーン・スーさんは作風が変わった、年を取ってキラキラしていなくなったという声もどこかで聞いたけど、私にはそんな作風の変化も、心地よい。
キラキラしていない、肩の力がスッと抜けた40代女性ってどんな感じなのか・・・それを知りたい・見たみたい人にはぴったりの本だと思いました。
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