ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

努力してきた人が陥りがちな、選民意識について

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こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

産休に入って、ネットウォッチングがはかどる、今日この頃。

(といいつつも、産院に行ったり散歩したり・・・色々していますよ!)

 

その中で引っかかった言葉があるのです。

それは・・・難関資格をお持ちの方や、自称インフルエンサーの方々が発する、「努力」という言葉です。

 

 

「自分は努力してきた」という危なさ

その界隈の方々は、色々な方面から叩かれて、批判されて、時にはバカにされているのですが、そういう、彼らに対して向けられた否定的な言葉を跳ねのける時に、「努力」という言葉を出すのです。

 

「自分は努力して今のポジションを築いたのだ」

「努力しない人ほど、他人をバカにするのだ」

「他人をバカにするのは不幸だから、努力したらどうだ?」

・・・という感じ。

 

こういう言葉を見ると、なんだか危ないなぁと思うのです。

 

どの辺が危ないかというと・・・

 

  • 自分の努力を過大評価している可能性がある
  • 他人は努力していないと決めつけている

 

この2点ですね。

1つ1つ解説していきましょう。

 

 

それはすべて、自分の努力なのか?

私自身も「自分は努力してきた」と思っている人間ですので、気を付けないといけないなと思っているのですが、努力してきた人間って、「その努力が100%自分由来である」という風に思ってしまいがちなのです。

 

親の遺伝的な問題もあるでしょうし、育った環境も関係しているかもしれないし、サポートしてくれた人のおかげもあるかもしれないのに、それを全部忘れて、「自分の努力でここまで来た」って言っちゃうのね。

 

若い頃の私もそうだったけど、幼少期に色々な物事に関心を持つような教育をしてもらったり、色々なところに旅行や遊びで連れてってもらったり、習い事や食事など色々な「良い環境」を作ってもらったことも大きいと思うけど、ついつい忘れがち。

「集中できる環境」「勉強する習慣」などの素地が身についているからこそ、勉強することができるし、努力もできるっていう面もあると思うんですよね。

他にも、これまでの人生で出会った先生や、友人・ライバルの存在も大きいだろうし、就職してからも先輩や上司に育ててもらったりしたことも大きいと思う。

 

そのへん全部すっ飛ばして、「ワタクシの、努力の、賜物ですっ!」っていうのは、やっぱりちょっと狭いなって思う。

とはいえ、私もそういうことを考え始めたのは、最近なんですけどね。

 

 

他人は努力していないと決めつけるのはおかしい

そしてもう1つ。

大体、「自分は努力している、努力したからここまで来れた!」ということを糧に生きている人たちって、なぜか「そんな自分のことをバカにする他人は、努力していないんだ」という考えだったりもします。

 

もうね・・・ここがおかしいんですよ。

 

あなたが努力している、それは正しいかもしれない。

でも、だからと言ってあなたを批判している人が、努力していないわけじゃないでしょう。

こういう「努力自慢な人たち」って、「批判」というのをなぜか「僻み」「嫉妬」に変換しちゃうんですよね。

 

「ボクチンの努力を認めてくれないなんて、僻んでいるに違いない」

「私は努力しているのに批判されるなんて、きっと私の才能に嫉妬しているのよ」

・・・いやいやいやいや、それは違うでしょ!って思う。

 

 

努力してきたからと言って、正しいとは限らない

「努力」は良い行いだと思います。

でも、努力したからと言って、それが正しい結果とは限らないのです。

 

極端な例、殺し屋業や空き巣業のスキルを上げるべく努力を重ねてきたからと言って、褒めてくれるのは一部の界隈だけでしょう。

 

それを、「自分は努力してきたんだから、自分のやっていることは正しい」とか言っちゃうのもね、おかしな話なのです。

そして、努力をしてきたというプライドのある人ほど、この謎の正しさにハマり、「努力ができる自分は選ばれた民だ」みたいに思っちゃうんですよね。

 

 

選民意識から解放されてからが、本当の大人の世界だ

以上、「努力してきた人」にありがちな例をお話しました。

 

私は思うのです。

こうやって、「自分は努力してきた」「自分の努力で結果が出た」「自分は努力できる特別な人間だ」と思っている時点で、まだ中二病に罹ったままなんじゃないの?って。

 

そういう、選民意識みたいなのから解放されて、色々な人とそれなりに上手くやり取りできるようになって、初めて大人になるんだと思います。

私が大人になったのはいつだろう?

つい最近なんだろうから、まだその段階にいる人たちが気になって仕方がないのかもしれません。

 

 

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