こんにちは、ドクダミ淑子です。
先日、ちょっと前にポチって積読(つんどく)していたこちらを読みました。
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この本を知ったきっかけは、こちらの記事でした。
どんな本なの?
公式サイトの紹介文は、こんな感じです。
「都会で働くちょっと個性的な大人の女でありたい!」
そのために、きょうも我ら女子は、
心と体にゴテゴテと甲冑を身につける。それは、敵から身を守るためなのか、
それとも世間に認めてもらうためなのか、
はたまた自らの純粋な欲望の発露なのか!?たとえばヨガ、赤い口紅、オーガニック生活……。
憧れ半分、天邪鬼な気持ち半分で手を出してみては、
うっかりはまったり、しっくりこなかったり。手にとった甲冑を着たり脱いだり毎日は忙しく、
心のクローゼットはいつもパンパン。ややこしき自意識と世間の目に翻弄されながら、
日々を果敢かつ不毛に戦う、本音しかないエッセイ集。
連載はこちらから読めます。
例えば一番初めの話は、『赤い口紅』というタイトル。
子どもの頃の原体験であり、憧れの赤い口紅。
似合いたいのに、全然似合わない。
今シーズンの赤はイケる!と思って買っても、やっぱり似合わない・・・
「女に生まれたからには」と他人に言われると反発したくなるけど、女に生まれたからには、赤い口紅が似合うようになりたい・・・
最後にはちゃんとどんでん返しの結末が待っているのですが、その過程も面白い。
口紅だけではなく、TKミュージック・ミーハーと言えばハワイ・オーガニック・ヨガ・自撮り・憧れの読者モデル・京都・華原朋美・宝塚・・・と話題は尽きません。
流行りのものに反抗心を見せたり、本当は手を出したいけれども自分には無理と尻込んだり、今まで敬遠していたものにチャレンジしてみたら意外とハマってみたり・・・そんな風に、女の色々な甲冑を着たり、脱いだりする姿が、時には自虐的に、時には羞恥心を捨てて気持ちをさらけ出しながら描かれています。
自意識の塊を懐かしむ自分がいた
すごく楽しく、サクサク読めたのですが、読みながら思っていたのはこんなことでした。
「まるで過去の自分を見ているようだ」
筆者のジェーン・スーさんは1973年で、これのエッセイの初出は、彼女が40~42歳くらいの時期。
私は1985年生まれの今年34歳になる年なので、彼女より10歳以上年下です。
でも、なんだか懐かしい気持ちになったのです。
私は、高校生~大学生までが自意識過剰のピークでした。
その一片は、mixiをさらけ出してみて明らかになりました。
高校生の時はファッション誌を読みあさり、どうしたら自分がオシャレに見えるかどうかに全精神を注ぎ、好きなファッションブランドや音楽を「オシャレに見えるか目線」で決めていました。
大学生の時も「オシャレに見られたい欲」は衰えることなく、古着屋に通い、変な柄物のワンピースを着て、2泊3日の荷物が余裕で入りそうな巨大なエディターズバッグを持ち、 髪型はショートボブ・うなじ~後頭部までバリカンで剃り上げていました。
物事を選ぶ基準が、「他の人が見たらどういう印象になるか」が第一で、それに沿って行動していました。
そんな時期の思い出が、甲冑を着た時のジェーン・スーさんの文章を見て、思い出されたのです。
甲冑を脱ぎ捨てた転機
今の自分を見ると、甲冑を完全に脱ぎ捨てています。
服装もテキトー、スッピンで外出できる範囲も広がり、ツムツムが大好きで、好きなマンガを読み、好きなアニメを見て、ラルクが好きだと言えるようにもなりました。
美味しいものを食べること>スタイルを維持することになり、どんどん太ってきました。
この甲冑を脱ぎ捨てたのは、どういう理由だったのかと考えたのですが、やっぱり、今の夫と付き合って、結婚したことが大きかったと思うのです。
夫は、見た目のこだわりが全くありませんでした。
私がスカートを履こうとも、パンツでいようとも、特に何も言わない(おそらく気づいていない)。
突然のお出かけに、「今スッピンだから、メイクするまで待ってて」というのを嫌がり、「スッピンでもよくない?」と言う。
オッサンになっても、月曜日は少年ジャンプを買い、電車の中で食い入るように読む。
未だにブラックコーヒーが飲めず、雪印のコーヒー牛乳だったら大丈夫レベルのお子様舌。
「ああ、この人は他人がどう思うのかなんて、全く気にしていないんだ」と思ったら、なんだかスッと楽になりました。
自分が甲冑を着ているのがバカみたいになり、重い甲冑をどんどん脱ぎだしました。
甲冑を脱いだ私を、「そんなに丸腰でいいの?」とたしなめる友人もいましたが、耳には入りませんでした。
だって、甲冑を脱いだら、ものすごく軽かったんですもの。
甲冑を脱いだ人は、他にもいた
私自身の自意識過剰への懐かしさを考えていた時に思い出したのは、このエッセイでした。
『臨死!江古田ちゃん』の瀧波ユカリさんも、アラサーとアラフォーでの甲冑度の違いについて語っています。
私の経験も、甲冑も、アラサーとアラフォーのあいだも、一つのことに繋がっているのではないかと思う、読書体験なのでした。
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