こんにちは、ドクダミ淑子です。
今月の金曜日の夜~土曜日の朝は、私にとっては「バチェロレッテ・タイム」。
写真は公式Twitterより引用
金曜0時に配信開始なので、深夜に見る勢からのネタバレを避けながら、できるだけTwitterを開かないようにしながら、さっさと家に帰って鑑賞しました。
Twitterで「#バチェロレッテ」「杉ちゃん」「黄さん」をミュートワードにするなど、対策も万全に!
しかしハッシュタグなしの「バチェロレッテ」は目に入ってしまうなど、今後に向けて更なる対策を講じようとも思いました。
さてさて、そんな最終話&アフターファイナルローズについての感想を書いていきましょう。
※ネタバレ要素も含みますので未視聴の方は読んじゃダメだぞ!
最初から読んでくださる方はこちらからどうぞ。
キーワードは、「私の決断」「向き合う」「真実の愛」
萌子さんのことは、初めから好きだなと思っていました。
すごく聡明で、相手の人間性を見抜くというか、言っていることのウソ/本当を見極める力が強くて、相手と自分の違いを言語化出来るし、自分の気持ちもきちんと言語化できる。
今もやっぱり、素敵な女性だなと思っています。
「え~?わかんな~い」みたいな女性が「かわいい」「愛嬌がある」とされがちな日本において、なかなかいないタイプだし、TVに出てくることも少ない。
出てくるとしても、情報番組のコメンテーターくらいで、どちらかというと「かわいくない」「とがっている」ポジション。
その「決断力」は強いし、一度こうと決めたら、誰が何と言おうと揺るがない。
・・・だから、ファイナルローズの行方は、なんとなく「誰にも渡さない」という展開もあるのかもしれないなぁとは、薄々だけど思っていました。
いや、黄さんをフッた時には、「え!?」って大きめの声出たけどね。
次の杉ちゃんの時には、「ってことは・・・」って思ったよね。
そのまま、モヤモヤして、アフターファイナルローズのトークセッションを観ました。
そこで、気になったのが、このワード。
- 私の決断
- 向き合う
- 真実の愛
「私の決断」「私の人生」なのはわかるけど
私は萌子さんが好きだから、彼女の言いたいことはわかるんですよ。
「私の人生は、私が決める」
「この旅の終わりは、私が決断する」
まぁそうですよね。
ローズを誰に渡すかを決めるのは、萌子さんしかいない。
でも、バチェラーやバチェロレッテという、ある意味「娯楽番組」に出演するのに、そこまで「私の決断」って言っちゃうのはどうかなとも思う。
視聴者としては、最後のローズを誰に渡すか、ドキドキして、エンディングのキスシーンからの大空へ飛び立って・・・指輪がキラーン(あの音が好き)を見て、「はあぁ~ん」って思って、その勢いでトークセッションに突入して、キラキラした笑顔で入場する最後の2人と、ファイナルローズに敗れた男性が入ってきて色々語る・・・そんなシーンが見たかったのです。
バチェラー3と言い、2回連続でその展開は裏切られたんですよね・・・
MCやローズ君が言っていたように、話が進むにつれて、萌子さんが辛そうな顔をすることが増えていたし、最終回なんて泣きまくっていた。
わかる、わかるんだけどさ・・・
だからそもそも、萌子さんは「バチェロレッテ・ジャパン」という、娯楽番組には向かないほど、人生に、そして結婚に真剣過ぎたのだと思う。
向き合いきると、誰も残らなくなるのではないか
萌子さんはよく「向き合う」と言うんですよね。
萌子さんも相手に向き合いたいと思うし、相手には「自分自身と向き合う」「私(萌子さん)と向き合う」ことを求める。
最後には、「向き合いきれたと思う」と言っていました。
でも、これって「本当かな?」と思ってしまった。
誰かが言っていたけど、「2ヶ月って短い」じゃないですか。
そこでいくら全力で・真剣に・向き合ったとしても、本当に「理解できる」「わかりきれる」ってできるのだろうか?と思うのです。
だから、そこには萌子さんの「この人は、きっと~だろう」という思い込み・バイアスも多少は含まれていると思うんですよね。
それを「向き合いきれた」、そして「その結果、ナシでした」っていうのはちょっと怖いなと思う。
最後の数人になると、それこそ1人1人と話をする時間も増えて、「向き合いきれた」ってなるんだろうけれども、そしたら今度は、向き合いきって、萌子さんの重視ポイントにチェックを入れだして、満点の人と結婚しようってなると・・・それは誰も残らなくなるのではないか?と思うのです。
- 自分の親のような雰囲気
- 仕事に関するスタンス
- 人生観・考え方
- 性格・タイプ
- 外見
- 恋愛対象かどうか
全部満点な人なんていない。
そして、最後の方で、「運命の人だと思った元カレと別れた」みたいな話が出てきたんだけど、元カレとも比べていたんだろうな・・・と思う。
そうすると、いくら向き合ったところで、上記をすべて満たす+元カレを超える人なんて、出てくる可能性は1万人に1人くらいなんじゃないか?
真実の愛なんて、誰もわからない
そして、「真実の愛」。
私は結婚して、4年くらいが経ちましたが、正直これが「真実の愛」なのかなんて、さっぱりわかりませんし、「真実の愛とはなんぞや?」と聞かれても答えられません。
萌子さんは、それを知りたくて、バチェロレッテに参加したとも言っていましたが、結局わからずに終わってしまった。
これからも「真実の愛」を探し求めて、出会いを求め続けていくのだろうか・・・と思うと、心配になります。
それって、青い鳥なんじゃないか?と。
元カレのことがあるから、尚更そう思うのかもしれない。
でも、日本中の誰もが、世界中の誰もが、よくわからないまま行動に移して、結果的に「これが真実の愛かもしれない」「今思えばそれは真実の愛だった」と辿り着いているところに、2ヶ月くらいで辿り着く可能性なんてめちゃくちゃ低いと思うし、今後もそこまで行けるかどうか分からないし、仮に辿り着いたとしても、その時彼女は何歳になっているか分からない。
結婚をするには、年齢を重ねすぎたし、賢すぎたのかもしれない
この結末を見て、Twitter で感想を見あさっているときに、樹木希林さんの言葉が出てきました。
『結婚なんてのは若いうちにしなきゃダメなの。 物事の分別がついたらできないんだから。』
ああ、この言葉が染みるよ。
私世代(1985年生まれ)の女性の母親って、働かないで学校出てすぐ結婚して主婦か、一般職OLとして数年働いた後で寿退社して主婦になって・・・って人が多くて、就職して総合職として働く娘たちからすれば「世間知らず」「天然ボケ」「のんびりしている」って印象があります。
少なくとも私にはそう見えていた。
そういう母親世代は、だいたい20代で結婚・出産しているのですが、対してその娘世代は、20代後半になっても働き続けている。
30歳が近づいてきて、「さて結婚しよう」と思っても、自分の母親のような「世間知らず」「おっとり」な彼女にもなれず、自分の父親のようなスペックの男性とも出会えず・・・結果、自分の中で思い描いていたような「家庭」を築けるような相手が見つからない、という現象を見ることがあります。
萌子さんも32歳。
自分の父母のような家庭を築きたいと思っているのかもしれないけれども、じゃあ、そのご両親が出会った時と、自分は同じくらいの年齢なのか?というと、(これは推測だけど)違うと思うんですよね。
物事の分別が付き過ぎてしまっていて、勢いで結婚が出来なくなっている。
何でも「言語化」「納得」「決断」が必要になってしまっている。
結婚するには、年齢を重ねすぎてしまったし、賢くなりすぎてしまったのではないか・・と思う。
恋愛バラエティへの適性
萌子さんは、人生に対して、結婚に対して、人との向き合い方に対して、真剣過ぎてしまったのだと思う。
私は萌子さんが好きだし、彼女がこの結論を出したのも理解できる。
だけど、バチェラー/バチェロレッテに出る人って、もう少しゆるい気持ちの人の方がいいんじゃないか?と思う。
それこそ、ファイナルローズを渡して付き合って、トークセッションでは仲睦まじそうにしていたけれども、その半年後にはお別れ、くらいの。
バチェラーで言うと、シーズン1と2くらいの。
「真実の愛を探す旅」って名目だけど、本当に「真実の愛」にこだわると、今回みたく真剣に考え過ぎてしまって、「番組としてどうなの、それ?」ってなっちゃうんだよな。
次はバチェラー シーズン4ですかね?
なんだかんだで、楽しみにしています。
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