こんにちは、ドクダミ淑子です。
ネットの世界って、いくらでもイキったことが言える世界です。
その中で、自分の生き方とやらを強く主張する界隈の人達がいます。
彼らは、自分は凡人として生きないことを大きな声で宣言して、「オレ流」の生き方をアピールします。
時には、「凡人」として平和に暮らすサラリーマンをディスリながら、時には周りの人に言われた否定的な言葉に強く反発しながら・・・
そんな界隈の人たちの、1つの特徴があります。
それは、「全肯定」ということです。
全肯定、それは正しいのか?
これは私の想像ですが、きっと「オレ流の生き方アピール」派の彼らは、現実世界で深く傷ついているのでしょう。
「フリーランスで独立なんて、うまくいかないよ」とか言われ、否定され、バカにされたりして・・・その反動で、そういうネガティブな言葉を許せないのです。
または、そういう否定的な事を言う人、懐疑的な人を、自分が作ろうとする集団に招き入れたくないという意図があるのかもしれませんね。
ですので、とにかく「褒める」「認める」「肯定する」みたいなことが素晴らしくて、「けなす」「疑問を呈す」「反対する」みたいなことが悪みたいなことを言うのです。
そんなことを考えていたら、とある人のツイートでこんな趣旨のものを見つけました。
- すごい人は悪口より褒める
- すごい人は批判より肯定する
- 悪口・批判ばかりの人は、すごそうに見せたいだけ
- 人のいいところを見つけるのが大事
ほう・・・
まぁ、それでいうと、私なんかは、すごくない人オブすごくない人ですね。
こんな風に書いているし。
ただ、この言葉を自分の経験で考えてみると、やっぱりそうは思えません。
だって、私を社会人として育てようとしてくれた人、多くはトップ営業マンでしたが、その方々は、私を本気で叱り、細かいところまで口を出し、ごくたまに褒める・・・くらい、9:1くらいのバランスで、私を否定し批判しアドバイスして育ててくれたから。
褒めるだけでは、人は育たない
私は仕事の中で、沢山の後輩を見てきました。
そして思うのは、褒めるだけでは人は育たないということ。
褒めて育てることの弊害について、最近ふと思い出した。
というのも、最近また出てきたんですね。
アポに迷子にならず、遅刻しないで行き、ニーズあり顧客から受注ができるようになったというレベル(=営業の基本中の基本)ができるようになっただけで、いっぱしの営業マンになったと思い込んで、外資系保険会社の営業マンになるために退職する・・・って若者が。
ニーズのある顧客から受注ができるって、超・簡単だからね。
「これ欲しいです」「へい、まいどあり~」だからね。
ぶっちゃけ、それって営業いらないからね。
彼には、もっともっと、あんなことやこんなことを覚えてほしかった。
でも、受注ができた=褒める、の繰り返しで、彼は勘違いしてしまったんですね。
私は、というか私の働く会社は、この褒めて育てることを大切にしているけれども、やっぱりその育て方には疑問を持つことがある。
でも、私が育ってきたような、トップ営業マンから、けちょんけちょんにけなされ、崖から落とされ、「悔しかったら自分で考えて、上がってこい」みたいな育て方は、今の傷つきやすい若者には、できないこともわかっているんだけど。
本当にすごい人は、良い面も悪い面もどちらも見えている
私は思うのです。
本当にすごい人は、良い面を見て褒めるだけの人じゃない。
良い面を見て褒めるも大事だけど、悪い面にもちゃんと気づいて、褒めるとバランスよく批判し、改善のきっかけを与えられる人だということ。
私の新人時代は、それは少し荒っぽかったかもしれないけど、でも私は、自分ではわからない、自分の悪い面を指摘してもらったからこそ、営業として、人として成長できたと思っています。
だから、「全肯定」「褒める」「批判しない」「ネガティブなことを言わない」みたいなのは、すごい人でもないし、本当についていくべき人ではない。
それは、あなたを成長させる気が微塵もない人だから。
耳が痛くなるようなことを、その人の成長のためにハッキリ言い、成長するためにトコトン付き合ってくれる人。
そういう人こそが、すごい人だと思うし、私は付き合いたい人だと思う。
そして私は、そういう先輩や上司でありたいと思っています。
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