こんにちは、ドクダミ淑子です。
「人付き合いを変えると、自分のレベルが変わる」
「自分のレベルを上げたかったら、付き合う人のレベルを上げる」
たまにこういう話出てきます。
先日もその話題を見て、もやもやしたのです。
今回はそんな話を。
付き合う人を変えると自分が変わる?
「付き合う人を変えると自分が変わる」という人はこんなことを言います。
- 愚痴ばかり言う人と付き合うと、自分も不満だらけになる
- ポジティブな人と付き合えば、ポジティブな思考になれる
- だから、愚痴ばかり言う人との関係を断ってポジティブな人と付き合えばいい
こんな感じ。
「愚痴ばかり」「ポジティブな」は、それぞれ「意識低い」「意識高い」とか、「サラリーマン」「経営者」とか、そういうのに置き換えられます。
だから、元の関係を断ち切って、新しい「ステージ」に進むと、自分が成長してうんたらかんたら・・・とね。
こういうのを見ていると、悲しい人だなって思う。
私は、30年近く付き合っている人がいる
私は、幼馴染みとか小中高大の同級生とか、わりと長い付き合いの友達がいるんですね。
小学校の友達なんて、最終学歴も職業も現在の状態も、バラバラ。
でもそんなの関係ない。
お互いにどんな人間だかわかりあっているから、健やかなる時も病める時も嬉しい時も愚痴が言いたい時も寂しい時も悲しい時も・・・どんな時も一緒にいられるのです。
どんな精神状態の時でも付き合っているから、良い影響も、悪い影響も、どちらもあると思う。
でも、悪い影響は「違うと思う」「それは良くない」って言って受け取らず、良い影響は沢山もらうだけの話であって、全部を受けて吸収する必要はない。
そして、「この人はこういう時には、こういう状態になるから、放っておこう」とかで距離を置くこともあるし、それでも多少影響されることもある。
友人関係って、薬にもなるし毒にもなり、むしろ効いているのか効いていないのかわからない漢方のようなもの。
とりあえず飲み続けよう・・・そんな感じで、30年近く付き合っている。
「付き合う人を変えよう」って人は、友達を「自分に対しての作用・機能・効用」としか考えていないような感じがするんだよね。
風邪を引いたら飲む薬、みたいな。
付き合う人だけ変えても、付き合いは続かない
でもね。
付き合う人だけを変えても、自分なんて変わらないんですよね。
たとえば、ポジティブな人と付き合うようになっても、こんな風に思うんですよ。
「私は場違い?」
「みんな気にしないって言うけど、私は気になる。これって私が変なのかな?」
大勢と違う考えを持っていることを目の当たりにして、ネガティブな気持ちにならないですか?
「無理して他の人に合わせてない?これが本当の私の気持ちなの?」
そのまま付き合い続けて、周りに影響されて変わる人もいるけど、変わらない人もいる。
そして、変われない人は苦しむことになる。
そしてそんな葛藤は、一緒にいる人達にも伝わる。
「この人、本心で喋っていない」と。
ちなみに、経営者に学ぼうとする非経営者も、経営者が一流ならば、「付き合うメリット」が1つもなければ去られます。
志もない、マナーもない、そんなポンコツと付き合い続ける経営者は、よっぽどボランティア精神があふれているか、単に暇な二流経営者です。
必死で自分を変えながら、「この人と付き合うメリットがあるのか?」なんて思われないように、メリットを提供し続けるのが果たして続くのか?
そしてそれはレベルアップなのか?
私がもやもやするのは、「この人たちと付き合って、私のレベルを引き上げてもらおう」っていう、他力本願なところなんですよね。
自分のレベルとやらは、自分で上げろよ!と思う。
悪い友達ができると悪くなる?
このテーマで考えた時に、思い出したのは中学時代のことでした。
私に、ちょっと悪そうな友達ができたんですね。
中学生なのに茶髪でピアス開けてメイクばっちりでジャージにサンダル・・・つまりちょいヤンキーなギャルのユイちゃん。
そして彼女は、突然うちに泊まりに来ました。
つまり、家出です。
家族は優しく迎え入れましたが、その派手な見た目と「おうちの人?誰も心配なんてしてません」みたいな言葉を聞いて、眉をひそめました。
そして、帰った後に父はこう言いました。
「淑子、人というのは水なんだ。付き合う器によって簡単に形が変わる。だから正しい形の器と付き合いなさい。」
私は、納得がいかなかったんですよね。
だって、お父さんが悪い形の器だと暗に言っているユイちゃんだって、私と同じように水ではないか。
なんか一方的に「私サイド」の話だけで判断するっておかしくない?
だいたい、そんな簡単に私は流されないし、ヤンキーにはならないし、でもユイちゃんとはラルク好きで気が合うし・・・
影響は、与えあうものでしょ
影響って、 一方的に与えられるものではありません。
与えあうものなんです。
それを一方的に人から与えてもらうもの、与えられるだけのものだと思っているのが、この話のモヤモヤポイントなんですよね。
そして、「人間のレベル」「ステージ」とかいう言い方も、嫌。
たしかに、昔は仲良かったけれども最近はほとんど会わない友達だって、新しく付き合うようになった友達だって、会えばグチばかりの集団だって、気付いたら仲良くなっていたスーパーポジティブで我の強い女たちの集合体もある。
私自身、高校に入って周りの人が変わったと思ったこともある。
でも、それはどれが上で、どれが下とかじゃないんだ。
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