こんにちは、ドクダミ淑子です。
ネットの世界が殺伐としているなと感じる今日この頃。
そんな中、こんな意見を目にします。
「フォロワーが多いあなたがこんなこと言うなんておかしい。自分の影響力を考えて発言してください」
・・・こういうこと言う人って、何考えているんですかね?
フォロワーが多い人は模範的な人?
確かに、フォロワーがたくさんいる人がつぶやけば、その言葉はたくさんの人に届きます。
でも、その言葉が正しいか正しくないかなんて、受け取った本人が考える問題じゃないですか?
それを、「自分で判断する力がないから、フォロワー多い人の意見に流されます。ほかの人もきっとそうです」「だから、流されても問題がない意見を発信してほしい」って、おかしくないですか?
フォロワーが多い人の発言力はあるかもしれません、言葉がより多くの人に届くと言う意味で。
でも、影響力があるかないかは、フォロワーの数なんて関係ない。
「フォロワーが多い人=正しい人」と思い込む方がおかしいのです。
どっちかというと、影響力は信者の質(盲目的に従う人かどうか)に影響しそう。
Twitterは、社会を動かすツールなの?
Twitterというものを、真面目にとらえ過ぎている人が増えているのではないかとも思います。
その昔なんて、ヒゥィッヒヒーを連呼する人がいて「ほかてらー」「ほかえりー」というやり取りがあって・・・っていう気軽なツールだったんですよ。
それが今や、安倍政権ガーとか、女性差別ガーとか、なんか社会問題を取り上げたり人生について語ろうぜになり、「自分の周りには優しい男性がいる」「姑と旦那の悪口(軽口)」に差別やイジメを助長している!ってリプがつき・・・
なんか真面目っていうかクソ真面目っていうかゲロ真面目というか・・・怖くないですか?
確かにTwitterで社会がちょっと動くこともあるし、それはすごいなと思う。
迷い犬とか見つかるし。
でも、常に社会を動かそうとしている正義感だらけのSNSって息苦しい。
少なくとも、私はそう思ってしまう。
「誤った人(というか自分の感覚と違う人なだけ)を正すのが正義」
「声を上げて、自分と違う意見の人をコテンパンにしてやるぜ!」
「そのために、賛同の声をたくさん集めよう!」
勝利条件:いいねをたくさん集めてバズらせて、自分と反対意見を言った人に謝罪させること。
・・・で、勝ったとか負けたいうゲームになりつつあるTwitter。
なんか怖い。
ミュートとリストを活用して、楽しくTwitterをしよう
ということで、私は殺伐としたSNSから避難するために、リスト管理とミュート機能の活用ををもう少しやろうかなと思います。
リストはこんな感じ。
「好きな人♥️」には誰も入っていないけど、「嫌いな人」は順調に集まっています。
まぁでも、「好きな人♥」は自分のタイムラインに入っていても何の問題もないし、嫌いな人は元気な時だけ見るからそっとリストに入れる・・・
普段はミュートしながら、ゲスい気分の時には嫌いな人や「ヲチ(watch)リスト」をしっかり見る・・・こんな感じで自分の心のバランスを取って、「フォロワー多いis正義」「社会的責任のあるツイートを!」という人たちと一線を画していこうと思いました。
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