ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

オジオバ世代に必要なものは「自分の意見を貫き通す力」ではない


こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

40代男性と話をしていると、時々「ああ、この人って若い子が自分の意見を言っているのが気に食わないんだろうな」と思うことがある。

 

その人は、契約時に提案したことは譲れないって感じで、逆に「改善点」みたいな話をすると「この方法は間違っていない!」みたいな感じで怒りだす人。

以前この話で書いた人だな。

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人事や採用の担当者っておじさんもいれば若い子もいるんだけれども、若い子が担当しているときはなんとなく偉そうにふるまってしまっている。

私はその彼が偉そうにふるまっていることを、「自分では気づいていないんだろうな」と思いながら見ている。

 

そして、その若い子たちが自分の就活経験をもとにアイデアを出し始めると、なんとなく自分が否定された気持ちになるのか、なんかすごく投げやりになる。

「御社が、会社として、そういう考えならばよいですけれどもぉ~」とか言いながら、ちょっと、いや結構否定してくる。

 

まぁその人も「提案するのが仕事」なんだから、その提案を却下されるのは良い気分にはならないと思うんだけれども、それだけじゃない気がしてしまうのだ。

「若い男性がキラキラしている」みたいなのに敵対意識を持っているように感じるのだ。

 

ちなみにその人は、若い女の子が自分の意見を言っているのは、ちょっとニヤニヤしながら見ている。

でも、やっぱり意見を言うと、なんとか潰そうとしてくるんだけれども。

 

 

老害とは

そういう彼を見ていると、きっと、年を取る=自分の存在が脅かされると感じるのだろうな・・・と思う。

 

私は独立して活動しているわけでもなく会社員という組織の一員だからこそあまりそういう危機感がない。

というか、むしろ「私なんていついなくなってもいいように、後世に残せるものは残しておこう」と思っているからかもしれないけれども。

 

でも、そうじゃない考え方の人もたくさんいる。

彼がかつて「自分の意見を主張する尖った若者」だった時の話もチラッと聞いているので、私はその彼の変わりっぷりが悲しくなる。

・・・というか、変わらないでいるからこそ、「自分の主張を変えないおじさん」になっているのかもしれない。

 

「老害」という言葉は全然好きじゃないけれども、若いころに「老害」とか言って年長者をバカにしてきた人が20年くらい経って「それって老害しぐさだなー」と思われるような人になっているのは、ちょっと悲しい。

 

 

自分の意見を貫く勇気よりも

そうやって考えていると、仕事をしていく上で必要なのは、「自分の意見を出したり貫いたりすること」ではなく、「自分の意見を否定されたり、逆の意見をされた時にどう受け止めるか」なのだろうな、と思う。

 

自分の意見を壊せる勇気とか、自分の積み上げてきたものを否定されることを受け止める力とか・・・特に年を取ればとるほど、そういうものが求められてくるのだろうと思う。

 

でもそれってすごく難しいけどね。

 

だって、おじさんおばさんの価値って「経験」なわけで、その経験からくる意見を否定される=自分の今までを否定されるってことになるから。

 

じゃあ何で勝負したらいいか?

そこで妙に若者ぶったりするのも、「痛いオッサン・痛いオバサン」になりかねない。

自分の経験やキャリアを誇りや自信に思いながらも、それを否定された時や真逆のことを言われた時に、「そうかもしれない」と思えるかどうか。

今まで築き上げてきたものを壊すことになるかもしれないものを、勇気をもって取り入れられるか・・・

 

そのバランスが、おじさん・おばさんに求められるものなのだな、と少し年上の先輩のふるまいを見ていると思うのです。

 

 

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