ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

自己愛と自己評価と現実とのギャップと

こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

ある日ふと、こんな言葉が思い浮かんできました。

 

自己愛が強く自己評価は高いんだけれども、実力がそれに見合っていない人

 

別に誰のこととは言いませんよ?

 

どこで聞いたのか忘れてしましたが、なかなか辛辣な言葉。

周りを見渡してみると、私の職場でもそういう子って結構いるんです。

 

 

私は悪くない、周りが悪い

自分が優秀だと思って疑わない人。

でも、そういう人がミスをしたら、先輩としてカバーしなければいけないし、今後同じようなミスが起こらないようにしなければいけない。

 

でも、話し合いをしたりするとそういう人達は、「環境が悪い」「制度が悪い」「仕組みが悪い」と、自分以外が悪いというような言い方をするのです。

 

まぁ、それは確かにそうかもしれないけれども、だからといって人のせいにばかりしてたら自分が成長できないよ、というような諌め方をするのですが、彼ら彼女らは自分たちがMAXに成長していると思っているので、「これ以上私が成長する必要はあるんですか?(そんなことはない)」みたいな返事がかえってくる。

 

でも彼らはその自己愛の高さと 自己評価の高さゆえ、そして他人と比べるということをしないため、本当に気づいていないのです。

「自分がそこまで優秀だというではない」ということに。

 

 

大人になるって自分のダメさに気づくこと

かくいう私もかつてはそういう人間でした。

若い頃って大体の人はそうなのかもしれない。

 

でも、ある程度仕事をして30歳前後ぐらいになると、その高い自己評価 っていうのは思い込みにすぎなかったっていうことに気づかされるのです。

 

ここから人は謙虚になり、周りの人に感謝するようになり、自分の実力にあった仕事の進め方を見出していったりするのです。

 

でも、それができずに30代を半ばも過ぎているうな人もたまに見る。

 

 

自己評価はあてにならない

さて、そんな中ですが、はあちゅうさんが自分のサブスクを「この内容でこの価格と更新頻度は破格だと思う」と宣伝されていました。

 

私は思いましたね。

「自己評価なんて当てにならんわ!」と。

 

自分の作品に対する自己評価なんて、3割増、いやはあちゅうさんくらい自己愛強めの人だと30割増くらいになるかもしれない。

 

価値を判断するのは、あくまでも消費者の方なのだ。

作る側は、消費者に価値を感じてもらえるような作品を作ろうと努力をするか、自分が良いと思うものを誰がどう言おうと売れなくても貫き通すか・・・

 

ここまで、自己評価が高くて自己愛が強くて、個人で仕事をしているとなかなか現実とのギャップで大変なんじゃないかな・・・なんて勝手に心配になってしまう。

 

若い頃は、自信があるというだけでなんとなくノリと勢いでなんとかなってしまった部分もあるかもしれない。

でも、大人になればなるほど、自己評価と世間の評価にギャップがある人は苦しくなってくるんじゃないかな・・・と、「自称破格」の薄味インスタ投稿を見ていると思う。

 

www.dokudamiyoshiko.com

 

かねてより、サブスク月額とワッパーチーズセットを天秤にかけていた私。

 

ワッパーチーズはうまい。

 

誰も指摘してくれないのは苦しい

色々考えていくと、自分の作品を「破格」とか書いちゃう薄味発信者は、それはそれで苦しいのかもしれない。

高い自己評価と強い自己愛で自分を信じてトップスピードで突き進む先には崖っぷちしかないのに、それを注意してくれる人もいないのだから。

 

人は「このままじゃダメだ」「自分をもっと高めなければ」となるタイミングで成長すると思う。

 

けれども、自己評価が高すぎる人は、その成長のタイミングを見逃してしまうのだ。

大事な大事なポイントを流しながら「勉強会」「セミナー」「情報交換」とか言っている人を見ると、そうやって仕入れた情報を活用する力がなければ何の役にも立たないのにな・・・なんて思ってしまう。

 

 

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