こんにちは、ドクダミ淑子です。
薄々は思っていたけれども、夫の方が育児に向いている気がする。
私は普段穏やかにやっているけれども、「もー無理!」ってなると、「じゃあ何すれば満足なの?ああん?」となることがある。
それに比べて、夫はいつも穏やかで、いつも冷静で、子どもはちゃんと夫の言うことを聞く。
私が「うおおおっ」ってなるから、子どももうおおぉってなるの?
でも、その前に子どもは明らかに私の時の方がワガママ全開なんだよな。
あれが食べたいだのこれがしたいだの・・・そんなにワガママ言わないでもらえます?
育児は育自・・・無理無理無理ィ!
子どものワガママは、ママを舐めているのか、それともママに甘えているのかはわからないけど、とにかく子どもとギャーギャー揉めるたびに、自分の心の狭さを実感してしまう。
これが「育児は育自」ってやつか・・・と思うけれども、子どもはすぐ育つけれども、自分はなかなか育たない。
38年間面倒臭がりやっていると、そんなに簡単に「面倒臭いとか関係ない!」やるんだ!みたいな感じにはならない。
だから、悩みすぎると、ついつい「そんなに寝たくないなら寝なければいいじゃん!」と思ってしまう。
「眠くなったら自分から寝るでしょ!」
これも正しいんだけど、子どもの場合は正しくないこともある。
自分の眠さに気がつかないとか、眠くて不機嫌になって騒いで興奮して寝付けないとかのパターンもあるからだ。
はぁ・・・面倒臭い。
子どもが体調崩すのは、親のせい?
んで、子どもがなかなか寝なくてクソォと思っているのに、体調を崩した時に「寝かせてあげないからだよ」「寝るのが遅いから風邪引くんだよ」とか言われると、イラっと来てしまう。
ハァ!?この前、貴様が冬空の下の砂場で遊ばせていた日以降、体調崩してるんだけど!?
あんまりそこ突くと拗ねるだろうから、黙っていてあげているんだけど!?
でもたしかに、夫の寝かしつけの方が早いから、なんとも言えない。
(あ、これ、『ママはテンパリスト』で読んだやつだわ!)
私の場合、途中で「寝かしつける」というのが面倒になって、自分が寝るモードに入っちゃうのがよくないのかもしれないな。
でも、それが1番心の平穏が保てるんだもの・・・
怒鳴るとダメージがデカい
時々、寝室で「早く寝なさい!」と怒鳴ってしまうことがある。
23時近くまで、キャハキャハとはしゃいでいる時だ。
子どもはだいたい驚いて、泣き出して、そのまま泣きながらスンと一瞬で寝るんだけれども、これがなかなか心にダメージが来る。
「楽しい気持ちのまま寝かせてあげたかったな」という後悔と、「いやいや、あのままだったらずっと寝なかったぞ?」という反論と、「怒鳴るじゃなくて他の方法があったんじゃない?」という正論と、「あの子、マジで私が怒らない優しいママだと思っているんだ・・・」という良いのか悪いのかわからないこととで、心がぐちゃぐちゃになる。
まぁ、でも「寝る」という目的を達成することを考えると、これがベストだなと思いつつも、でもそのプロセスどうなんだ?とか・・・考えるとキリがない。
もう・・・寝てくれ。
つまり、「愛」?
夫の辛抱強さとか、「正しい方に導く」みたいなことを考えて、常に子どものために動いているのって、どこからくるんだろうか?と思うと、「愛」という言葉にたどりつく。
そうか愛か・・・
・・・って考えると、私には愛が足りないのかもしれないな、なんて思ってしまう。
「今楽しくなくても、将来困らないようにしっかり躾をしなければ」とか、「本当に子どもの為を思うなら、こっちの方が正しい」とか、そういうのの方が「愛」なんだろうけれども、ついつい私は面倒臭がって、「何でも楽しくやろう」「正しさよりも楽しさ」みたいな方向に行きがちになってしまう。
その結果、最終的にうおおおおってなって、寝室で怒鳴ったり、かついでお風呂へ行ったりする。
愛が足りないのか、面倒臭がりで最後に余裕がなくなってぐああってなるだけなのか。
自分育て、頑張ります
とにかく、育児をしていると、自分のダメなところが浮き彫りになってくるなぁと思う。
そしてその、ダメなところを夫がまた突いてくるんですわ・・・
でも、そのダメな部分には「私の将来のため」と考えて、ちゃんと向き合わないと行けないなぁと思う。
「育自」は、「育児」よりも断然、難しいものなのですね。
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