ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

【本感想】モンテッソーリ教育×ハーバード式 子どもの才能の伸ばし方

こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

これを書き始めた日のお昼は、子どもが大興奮しちゃってですね・・・

 

寝ない!

 

いつも、13時くらいにはお昼寝しているのですが、大興奮のまま寝ないで寝室で格闘していたら15時になり16時になり・・・となってしまいました。

 

ああ・・・困った。

 

夫と、「このまま寝かせずに夜早く寝かすか?」と話し合ったのですが、最終手段!と私があったかスリーパーを着せた我が子をベビーカーに載せ、靴下を履かせた上に足元をブランケットのポケットに入れて防寒して、そのまま散歩に出掛けました。

ええ、必殺!ベビーカーで揺らして寝かしてしまえ作戦!です*1

 

ガタガタガタガタ・・・と揺らしていたら、10分経たずに寝ました。

家ではあんなにワーワーキャーキャー走り回ってたのに・・・まぁ寝てよかったけど。

 

こういう時に、どっちが良かったんだろうなと毎回悩む。

子どもの「寝たくない!遊びたい!」という気持ちを尊重すべきか、「生活リズム!適度な休憩!」とすべきか・・・

(今回のケースはそもそもが大幅に生活リズムを崩していたのですが)

 

・・・と悩む私がこの本を読みました。

 

 

どんな内容なの?

 公式サイトによると、こんな内容です(人名は省略)。

 

マンガだから、かんたんに読めちゃう♪
誰でも!おうちでできる!
子どもの才能を最高に伸ばす方法。

「いたずらばかりする…」
「話を全然、聞いてない…」
「お友だちと仲良くできない…」

こんな子どもの「困った行動」も、本書のメソッドで見れば「輝く才能」になります。

<日本の有名人>が幼児期に受けた教育として、一躍脚光を浴びた“モンテッソーリ教育”。「集中力」と「自立」を育てる教育法として日本に先立ち、米国では教育意識の高い親に取り入れられ、<アメリカの有名人>などの、突出した才能を生み出してきました。

本書は、ハーバード大学の心理学者ガードナー氏が唱える「多重知能理論」を著者が日本人向けにアレンジした「9つの知能」を使って、運動、学力、クリエイティビティ、コミュニケーション能力など子どもが持つさまざまな能力を見つけていきます。

さらに、「9つの知能」を伸ばすオリジナルのアクティビティも多数紹介。
どんな家庭でも、笑顔で、かんたんに子どもの才能を伸ばすことができます。

 

上記サイトにあるマンガがこちら。

 

こんな感じで、「大人の視点/子どもの心の中」とか「NGな親の行動/OKな親の行動」とわかりやすくマンガで描いてありつつ、解説もある本です。

 

「才能を伸ばす」にひっかかる

私自身、読んでいて「なるほど」「やっぱりそうなのか」と思うことはあったんだけれども、イマイチしっくり来なかった。

 

その理由は、「どんな子どももそれぞれ才能を持っていて、才能を伸ばすために行動している!」という考え方。

それがいわゆる「イタズラ行動」となって表れている場合もあるので、大人は「才能を伸ばすためにイタズラしているのだ」と見方を変えて、温かく見守ってあげましょう・・・って感じに繋がっていくのだけれども、私はその「どんな子どもも~才能を~」っていうのがあまり納得いかなかった。

 

子どもは、「楽しいからやっている」だけであって、「才能を伸ばすためにやる」ではないのでは?と思ったから。

だいたいそうやって、「才能を伸ばすためにイタズラしているのだ、だから・・・」っていうのは親の目線じゃないか。

 

なんかそういう「損」なところを「得」と感じて温かい心になりましょうって、まさに人生を損得でしか見られない人みたいじゃないか。

www.dokudamiyoshiko.com

 

だから、はあちゅうさんには大好評なのか、この本は・・・とか考えてしまった。

いや、モンテッソーリ教育自体は悪いものじゃないとは思うんだけどね。

 

 

子どもは、だいたい凡人になる

私がそうやって「才能才能」って言うのが嫌な理由はもう1つある。

 

たしかに、人にはそれぞれ特性があり特徴があり個性があるんだけれども、それを「誰もが素晴らしい才能を持って生まれてくる」みたいな言い方にすると、それもまた問題があるのではないか?と思うから。

そりゃ、誰もが好きなこと得意なことがあって、それを伸ばしたらいいと思うんだけれども、じゃあそれが「天才」レベルまで伸びるかっていうと、大体は伸びないで「凡人」か「並みよりちょい上」で終わるんですよね。

だから、「天才」っていう一握りの人間がいるわけで。

 

それを、「ウチの子は芸術の才能があるから、その1点突破でそれ以外やらせない!」みたいにして、才能を伸ばそうとすると、それが伸び悩んだ時にどうするのだろう?と考えてしまう。

時々、「学校教育でもっと1人1人の個性を伸ばす教育をすべき」みたいな意見を目にするのだけれども、それも私は違うと思っていて。

学校教育も家庭での教育も、ベースは「凡人になれる教育」であって、それがあってのプラスアルファで「才能」「個性」「特性」みたいなのを伸ばしていくのではないか?と思う。

 

どうしても「人並み」にならないこともあるかもしれない。

それは仕方ないけれども、最初からその教育を捨ててはいけないと思う。

 

 

知的障がい児に「特別な才能」を期待するのにもモヤモヤする

少し話は変わるけれども、知的障がい児、特に自閉症の子に「特別な才能があるのではないか」と考える大人にも、モヤモヤする。

どうしてそうやって、「障がいがあるから、その分才能もあるだろう」みたいなプラスマイナスみたいなことを考えるのだろうか?と。

じゃあ、あなたはそういう風に損得で物事を考える思考回路を補うような「特別な才能」があるんですか?ああん?って言いたくなる。

 

なぜ、「ただ楽しく生きる」で良しとしないのだろうか。

 

それは大人も子どもも。

 

「イタズラは才能を伸ばす行動なのだ」、これがやっぱり、私には受け入れられない。

 

 

子どものイタズラに疲れ果てている人には良いのかもしれない

・・・と書きましたが、子どもが困った行動をしていてどうしてもイライラが止まらないとか、そういう風に親が疲れ果てている場合は、心が軽くなる内容なのかもしれないなとは思いました。

これを読んで見方を変えて、気を楽にして、その上で「才能を伸ばす行動だから見守ろう」については、改めて考えてみる。

そんな読み方がいいんじゃないかな?と思います。

 

とりあえず、はあちゅうさんがこれに感銘を受ける理由はよくわかりました。

 

 

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www.dokudamiyoshiko.com

 

*1:似たような技で、車でひたすらドライブする方法もあります