ドクダミ自由帳

モテない精神を持ち続ける既婚30代女、ドクダミ淑子の毎日

「私は悪くない」はこじらせてはいけない


こんにちは、ドクダミ淑子です。

 

嫌な小説を読みました。

 

タイトルは書かないけれども、サスペンス小説で、中学生の息子が殺人をして、父と母が隠蔽しようとする話。

 

「あの子は傷ついているんだから、そっとしておいてあげて」と言う母、今まで家族の問題に目を逸らし続けて「様子見」「妻に任せてあるから」と向き合わない父、そして「親が悪い」という息子・・・

全員が全員、「自分は悪くない」と心の底から思っている。

罪もない人間が殺されたというのに、なぜ色々な理屈をこねて「自分は悪くない」と言えるのだろうか?と心の底から腹が立った。

 

最悪だったのが、被害者に対して「あの子にも多少非がある」みたいなことを母親が言いかけたシーンだ。

人を殺す人間が100%悪いに決まっているのに、あれこれと理由をつけて「殺される側が悪い」と言うなんて信じられない。

こういう人にかかれば、なんでもかんでも「私が悪くない理由」を作り出せるのだろうと怒りに震えた。

 

 

「私は悪くない」はこじらせてはいけない

この小説は、父親目線で描かれている章と、刑事目線で描かれる章とが入れ替わりながら話が進んでいく。

 

父親目線は先ほど書いたような「自分は悪くない」思考がてんこもりで吐き気がしたんだけど、そうやって「自分は悪くない」を守りつづけていくと、大切な存在であろう「家族」がどんどん「厄介な存在」、もっと言うと「敵」になってくるのが怖かった。

「なぜ、この人達は自分の思い通りに動かないのだろう」「なぜ、反抗するのだろう」とどんどん、自分のことを陥れる存在みたいに見えてくるのだ。

それが怖かった。

 

「私は悪くない」っていうのは、自分を守るけれども、他人を、家族までも「自分の敵」みたいにしていく思考なのだろうなと思った。

 

 

「自責」は、やっぱり大事なんだろうな

私は新卒で入ったのがブラック企業で*1、先輩や上司から色々なことを教えてもらった。

 

分かる人は分かる、あの「レンガ職人の話」「自分と未来は変えられるけれども、他人と過去は変えられないの話」「自責と他責の話」などなど。

電通鬼十則みたいなものですね*2

 

当時は「ケッ」と思っていたけれども、こういう「私は悪くない」に触れすぎると、「自責思考っていうのは大切なんだろうな」と思ってくる。

何でもかんでも「自分は悪くない」「周りが悪いんだ」と言っているのは自分を責めずに済むから楽なんだろうけれども、そうやって「周りが悪い」で文句だけ言ってその状況を自分で改善しようと考えないと、どんどん事態は悪くなっていく。

そして、取り返しのつかないことになってしまうこともあるのだ。

 

親のそういう姿勢を、子どもはよく見ている。

親がそうやって問題を他人のせいにして、向き合わず、「様子見」みたいな聞こえの良い言葉でごまかして、結局何もしないのを見て、学んでいるのだ。

そして「親のせいだ」「自分は悪くない」みたいな、見事に親に似た思考回路になっていく。

 

親として、「他人のせいにばかりするな」と諭すことになるのは、たぶん先の話になるだろうけれども、大人になる前にちゃんと教えておかないといけないし、夫もわりと「俺は悪くない」って言いがちだから、その辺もパートナーとして向き合っていかなきゃいけないのかもな・・・と思った。

 

 

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*1:今も働き続けているけれども、会社が色々あってホワイトニングしている。ただ、売上が厳しいという時には一気にブラックに戻ることもある。現状はライトグレーくらいの感覚。

*2:そういえば、はあちゅう先生は電通で2年もお仕事されているのに、あまりこの鬼十則が染みついていないようですね。なんと2年も勤めているのに・・・