こんにちは、ドクダミ淑子です。
嫌な小説を読みました。
タイトルは書かないけれども、サスペンス小説で、中学生の息子が殺人をして、父と母が隠蔽しようとする話。
「あの子は傷ついているんだから、そっとしておいてあげて」と言う母、今まで家族の問題に目を逸らし続けて「様子見」「妻に任せてあるから」と向き合わない父、そして「親が悪い」という息子・・・
全員が全員、「自分は悪くない」と心の底から思っている。
罪もない人間が殺されたというのに、なぜ色々な理屈をこねて「自分は悪くない」と言えるのだろうか?と心の底から腹が立った。
最悪だったのが、被害者に対して「あの子にも多少非がある」みたいなことを母親が言いかけたシーンだ。
人を殺す人間が100%悪いに決まっているのに、あれこれと理由をつけて「殺される側が悪い」と言うなんて信じられない。
こういう人にかかれば、なんでもかんでも「私が悪くない理由」を作り出せるのだろうと怒りに震えた。
「私は悪くない」はこじらせてはいけない
この小説は、父親目線で描かれている章と、刑事目線で描かれる章とが入れ替わりながら話が進んでいく。
父親目線は先ほど書いたような「自分は悪くない」思考がてんこもりで吐き気がしたんだけど、そうやって「自分は悪くない」を守りつづけていくと、大切な存在であろう「家族」がどんどん「厄介な存在」、もっと言うと「敵」になってくるのが怖かった。
「なぜ、この人達は自分の思い通りに動かないのだろう」「なぜ、反抗するのだろう」とどんどん、自分のことを陥れる存在みたいに見えてくるのだ。
それが怖かった。
「私は悪くない」っていうのは、自分を守るけれども、他人を、家族までも「自分の敵」みたいにしていく思考なのだろうなと思った。
「自責」は、やっぱり大事なんだろうな
私は新卒で入ったのがブラック企業で*1、先輩や上司から色々なことを教えてもらった。
分かる人は分かる、あの「レンガ職人の話」「自分と未来は変えられるけれども、他人と過去は変えられないの話」「自責と他責の話」などなど。
電通鬼十則みたいなものですね*2。
当時は「ケッ」と思っていたけれども、こういう「私は悪くない」に触れすぎると、「自責思考っていうのは大切なんだろうな」と思ってくる。
何でもかんでも「自分は悪くない」「周りが悪いんだ」と言っているのは自分を責めずに済むから楽なんだろうけれども、そうやって「周りが悪い」で文句だけ言ってその状況を自分で改善しようと考えないと、どんどん事態は悪くなっていく。
そして、取り返しのつかないことになってしまうこともあるのだ。
親のそういう姿勢を、子どもはよく見ている。
親がそうやって問題を他人のせいにして、向き合わず、「様子見」みたいな聞こえの良い言葉でごまかして、結局何もしないのを見て、学んでいるのだ。
そして「親のせいだ」「自分は悪くない」みたいな、見事に親に似た思考回路になっていく。
親として、「他人のせいにばかりするな」と諭すことになるのは、たぶん先の話になるだろうけれども、大人になる前にちゃんと教えておかないといけないし、夫もわりと「俺は悪くない」って言いがちだから、その辺もパートナーとして向き合っていかなきゃいけないのかもな・・・と思った。
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