こんにちは、ドクダミ淑子です。
ハードワークでも丁寧な家事でも何でもいいんだけど、とにかく「子供が邪魔」とならないようにしなきゃね、と思う、今日この頃。
自分だけで完結しない世界
すごくすごく当たり前なんだけど、この世界って自分一人だけで完結することって少ない、というかほとんど無いんですね。
大体のことは他の誰かと一緒にやっていたり、誰かが関係していたりする。
ただ、話のわかる大人とだけ接していたり、学生として自分の脳みそに知識を入れるタイプの勉強をしていたり、「自分だけの作品」を1人で作ったりしていると、そういう「誰かと一緒に何かをする」っていうことや、「自分と違う思考回路の人がいるし、その人とも上手くやっていかなければならない」ってことを忘れがちになってしまう。
そして自分が思い描いた手順とか道筋通りに物事が進まないと、うわあああってなる・・・っていうのが、「子どもが私の邪魔してくる!」ってなるんだろうなと思う。
まぁ、ぶっちゃけ「邪魔!」と思うことは私にもあるんだけど、思った後に改めて、「まぁ私にとっては邪魔に感じたかもしれないけど、子どもにとっては、“邪魔したい”じゃなくて、“遊んでほしい”なんだよな」と訂正するようにはしている。
「自分でコントロール出来ている」という満足感
以前にどこかで書いた気がするけど、「自分でコントロール出来ている」って感じるのは、ストレスをなくすためには結構重要だと思う。
この話かな?5年前。
私は若い時に、「顧客に振り回される」っていうのが本当にストレスに感じていた。
だから、「振り回されるんじゃなくて先手先手を打って行くぜ!」ってやっていったらストレスは減っていった。
そんな経験があるから、「自分で仕事をコントロール出来ている!」って感じられるのってすごく心の健康に良いんだなと思っている。
(とか書いているけれども、先ほどのブログを書いた5年前=33歳の時もまだイライラしていたのだな、反省。)
振り回されることも計算に入れておく
そうやって、先手先手を打って仕事を進めるようにしていくと、いつの間にか以前のような「振り回され仕事」みたいなものも気にならなくなってきた。
心の余裕というか余白みたいなものが出来てきたからなのかもしれない。
あとは、「そろそろ〇〇さんから無茶振りが来るかもしれないな」と予測して、実際に来たら「予想的中!」とかで楽しめるようになってきたというのもある。
これも「自分でコントロール出来ている」の亜種かもしれない。
「コントロール出来ている」じゃないけど「ちゃんと予測できている」みたいな。
話を育児家事に戻すけど、とにかくそんな感じで、子どもの「邪魔(じゃないけれども)」にイライラするのは、単純にキャパが小さくなっているっていうのもあるかもしれないけれども、「自分のコントロールできる世界」に囚われているからっていうのもあるのではないか?と思う。
どんなに意識しても、人は「コントロールしたい」っていう欲求はあるし、そうやって自分のあれこれの舵を自分で取ろうとする意識って大事なので、バランスというか、「完全に自分の思う通りにならないとダメ」みたいな風にならないこと、そうなった時に反省して手綱を緩められるかどうかっていうのが大切なんだろうな、と思う。
昔はとにかく、「自分で何もかもコントロールすることで、ストレスを無くして自立した人間として・・・」と考えていたけれども、子どもが出来て「そういう訳にも行かないもんな~」「子どもの都合ってもんもあるし」と思うようになってきた。
これも1つの成長なのかな・・・と思う。
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