こんにちは、ドクダミ淑子です。
先日、こちらの小説を読みました。
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どんな内容なの?
公式サイトによると、こんな内容です。
鷹島珊瑚は両親を看取り、帯広でのんびり暮らしていた。そんな折、東京の神田神保町で小さな古書店を営んでいた兄の滋郎が急逝。珊瑚がそのお店とビルを相続することになり、単身上京した。一方、珊瑚の親戚で国文科の大学院生・美希喜は、生前滋郎の元に通っていたことから、素人の珊瑚の手伝いをすることに……。カレー、中華など神保町の美味しい食と思いやり溢れる人々、奥深い本の魅力が一杯詰まった幸福な物語、早くも文庫化。
1つの話の内容としては、店番しているとお客さんが来て、近所で買ってきたものを一緒に食べながらお客さんの事情を聞き、本を1冊オススメする、というのが大体の流れ。
その「型」がベースとなりながらも、物語は少しずつ、色々な人が出てきて、動いていく・・・という感じ。
「誰かに動かされる」をポジティブに捉えられた
DRYを読んだ後に、「当分、原田ひ香さんの小説は読まないと思う」と書いた。
それは「自分の行動は、自発的に動いているようで、実際のところ他の誰かに動かされているものではないか」ということを怖く感じた、というのが理由なんだけれども、この小説の中ではその「誰かに動かされ・・・」というところをポジティブに捉えることができた。
この小説の中でも、女たちは「誰か」に動かされている。
珊瑚が古書店をやっているのもそれが兄の経営するところだったからだし、美希喜が最後に決断するのも大叔父からの後押しがあったからだし・・・
でも、それは「人と人とが関わること」「誰かに思いを託すこと」という、人間社会で生きるからこそ起こることなのだろうなと思う。
自分で全てを決めて、自分だけで動くということがほぼない、必ず「誰か」がいるからこその世界だからなのだろう。
動かしている人たちのほとんどが「男」だということは若干引っ掛かるんだけれども、まぁそこは今回は目をつぶることにしましょう。
そもそも主人公が「女」だからな。
「繋ぐ仕事」というもの
私がこの小説を読んでいて思い出したのは、「繋ぐ仕事」もまた素敵な仕事なのだなと思ったこと。
私は若い頃は今よりも尖っていて、そのくせに大学ではドケチ精神もあり、「取れるもんなら取っておこう」た教職をとったりしていた。
でも、「教師を目指すか?」ってなった時に、色々と考えて、辞めた。
自分の型にはまらないところや郷に入っても郷に従えないところとかが大きいけど、こんなことも思ったのだ。
「教師の仕事って、人を育てて輩出するけど、人生において他の人を育てるだけで終わってしまうことに意味があるのだろうか?」と。
今となってはこの「他人を育てる仕事に意味はあるか」なんて愚問だということがわかるんだけど、当時の私は「自分の仕事で成果を出して世の中に一石を投じてやるぜ!」みたいな気持ちになっていた。
けれどもそこから十数年経って、子どもを産み育てているの中で、「人を育てることだけで自分の人生が終わっても、それはそれでいいんじゃないか?」と思えるようになってきた。
短い人生の中で、人間1人が出来ることなんて限られていて、世界をガラリと変えるのはほんの一握りの人間で、じゃあそれ以外は生きる価値がないかというとそんなこともなく、1人の人間が生きていくことが積み重なって、きっと世界は今よりもよくなっていくのだと思う。
そういう中で「繋ぐ仕事」も、意義ある仕事だよなぁと思った。
そしてアラフォーになった今、自分が「次世代に繋げる」とか「我が子や後輩が生きやすいように自分に出来ることをする」みたいな気持ちが強くなりつつある。
・・・ということを、読みながら思い出していた。
そう、古本屋の仕事も「次の世代に繋ぐ」仕事なのだ。
神保町に縁がなかった
そんなことを最後にじわっと考えたんだけど、序盤は美味しそうなグルメと面白そうな本の話。
読めば読むほど、美味しそうな描写に「うわぁ」となり、それぞれのキャラの描写に「いるいる、こういう人」となる。
読んでいて、「ああ、残念!」と思ったのが、今までの人生で神保町という街にあまり縁がなかったということ。
お茶の水、秋葉原辺りはわりと行っていたけれども、神保町と言われてもこれと言って思い浮かぶ風景もなければ、「ああ、あの店ね」となることもなかった。
神保町、特に古書店街に縁があれば、もっともっとこの物語は立体的に、解像度高く私の頭の中で再生されただろうなぁ、と思った。
原田ひ香さんは、1話完結のドラマのように、短編小説が続いて、それが1つの大きな物語になっていくスタイルが多く、今回もそんな感じでした。
わりとサクサク読めるので、重すぎず軽すぎずの小説が読みたいなぁって時にはオススメです。
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